高知城に「上がった」という時であった…路面電車の停留所から「多分…こちら側?」と歩を進め、「ここが高知城の敷地らしい…」ということになり、石垣や様々な構造物が在る辺りへ上る場所に至った…必ずしも“正面入口”というような感じの場所から入ったということでもなかった…
一頻り高知城の様々なモノを視た後、「この辺が?“正面入口”?」という辺りに至った…
↓そして出くわしたのがこれだ…
↑<像之公豊一内山>と在るが、これは少し古い書き方である。<山内一豊公之像>ということだ…
山内一豊は「高知城を築いた」という人物である。この像?一寸「見覚え?」という感だった…
静岡県内の掛川城を訪ねてみた経過が在ったが、掛川城の建物内の展示に、この高知城に据えられた像の小さなレプリカが在ったのだ。
山内一豊は関ケ原合戦の頃には掛川城の城主で6万石の大名であった。関ケ原合戦の時、逸早く徳川家康陣営に入ることを明言し、東海道を進んで行く徳川家康の軍勢が掛川城を随意に利用して構わないと「提供」した。そういうような経過で、関ケ原合戦の後、俗に「土佐24万石」と云われる―実際は20万9千石とのこと…―大領が与えられたのだ…
↓「掛川城の展示に在った像の“実物”だな…」と思いながら眺めたが…“実物”の大きな像は、なかなかに迫力が在る…
↑甲冑に身を固めて騎乗し、槍を手に進軍中、或いは自軍を率いて戦闘を開始するような場面と見受けられる像だ…
この像…台座の銘が<像之公豊一内山>なので、なかなかに古いと思う。城下町たる高知の街の礎を築いた人物として、古くから地元で敬愛されていたという証左のように思った。
訪ねた先で、この種の像に出会うのは面白い…
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