拙宅に在っても、出先に在っても、「早めに眼を開けた…起き出してしまった…」という場面では“極々短い散策”と称して、カメラを提げてその辺を歩き廻ることを好む…
滞在中の宿は「大阪市西区」という住所だが、大正駅に近い。自身のような、「他地域から訪れている、些か不慣れな者」は「大正区の一部?」と思い違いをするような位置関係だと思う…
“大正区”というのは昭和に入ってから成立した行政区である。川や運河に囲まれた「半ば島…」という地形で、利便性向上のために橋梁を整備していた。<大正橋>が完成し、何か「地区の象徴」というように目立っていた。そこで行政区が成立しようとする時に「“大正橋区”は如何か?」ということになったが、「3文字の区名か??」という話しになって“大正区”になったそうだ。
そういう場所なので、辺りを歩けば「橋が在る光景」というのに出くわす。そしてそれらがなかなかに好い感じかもしれない…
↓こういう貫禄が在る橋に出くわした…
↑早朝の暗い時間帯でも、JRの軌道も渡っている木津川に架かる武骨な鉄橋はやや目立つ。橋の脇には歩道も在って、出られるようになっていたので出てみれば<おほなみばし>という銘が在った…
<おほなみばし>は感じでは「大浪橋」と書く。この漢字は「おおなみばし」と読む。<おほなみばし>は“旧仮名遣い”だ…
この橋は1937(昭和12)年に開通しているモノであるという。なるほど“旧仮名遣い”も在った時期である…
大正区と隣の浪速区とを結ぶ大浪通という道路を整備する中で登場した橋で、両区の頭文字を採って<大浪橋>と命名された訳だ…
↓休日である土曜日の早朝、未だ暗い時間帯で交通量は少なく、車輛往来が途切れる場面も見受けられたが、大正区と浪速区とを結ぶ、市内の道路としては“幹線”という感なので橋も幅が広く視える…
この橋の幅員は21.7mだそうだ。竣工当初は19.4mであったものに、後年に歩道部分を増設して21.7mになったのだという。橋の長さは81.5mだ。
↓設計が手掛けられた頃に問題になったのは、「橋は要るが、橋桁が船舶航行を妨げても困る…」ということだったそうだ…81.5mもの橋だが、船が行き交う部分に橋桁は無い…
↓現在では近くの大きな建物の陰にもなってしまっているが、登場した頃には相当に目立ったことであろう…
こういうモノを眺めるのが酷く好きだ!
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