大塔…:根来寺(2020.12.19)

「公共交通機関で移動し、歩き廻る」という方式では、些か訪ね悪い場所は多く在ると思うが…そういう場所は、敢えて行かない場合も少なくない。しかし「それでも!」と訪ねてみる場合も在る…

↓根来寺(ねごろじ)を訪ねてみた…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol01 (12)

史実を一定以上尊重している場合も、その限りでない場合も在る“時代モノ”の映像作品や小説等に、「根来」という地名が出て来る…そこで興味が在ったのだが…

大阪府泉南市というような、大阪府と和歌山県の県境を擁するような辺りから、運行頻度が高くない小さな車輛によるバスに乗って、山間に開いたような、トンネル区間も眼に留まる道を行くと「根来」に辿り着く。辺りは和歌山県岩出市だ。2006年に市制が施行されたそうだ。和歌山県の北側、「紀北」と呼ばれている地域で、自家用車や大阪府南部の鉄道駅を利用して大阪との間を往来する人達が多く見受けられるという。所謂“ベッドタウン”なのだそうだ…

この岩出市の根来に興教大師(こうぎょうたいし)と呼ばれる覚鑁(かくばん)が開いたとされる根来寺が在る。

覚鑁(かくばん)は高野山で活動し、大伝法院や密厳院(みつごんいん)という道場を起こし、宗祖・空海の教義を復興しようと努めていたが、内部対立が激しくなってしまったことを受けて1140(保延6)年に高野山を離れ、根来寺の母体が形成されて行くのである。そして高野山に残っていた大伝法院の名跡が、根来寺形成から1世紀以上を経た1288(正応元)年に根来に移り、根来寺の独立性、独自性が高まって行ったという。

戦国時代に至ると、根来寺は夥しい僧房が在る「宗教都市」の様相を呈し、多数の僧兵や鉄砲隊を擁する勢力となっていた。そして豊臣秀吉の雑賀攻め(紀州攻略)の戦いで荒廃してしまった…(この時に根来を離れざるを得ないとした人達が京都で智積院を起こして行くこととなる…)

↓戦国時代の戦禍を免れた極一部の建造物が、現在でも大切に伝えられている…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol01 (15)

↓1496(明応5)年の建物と伝わる、この種の「多宝塔」としては大きな規模のものであるという…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol02 (2)

現地を訪ねれば…「山間の数万人の人口規模の小さな市」という以上でも以下でもない感は免れ悪いかもしれないが、如何にも「密教の道場が築かれて発展した経過」を有するという感がする場所だった…

この根来寺は「訪ね易い」とは言い悪い感ではあったが、訪ねてみて善かったとも思った。こういう機会が設けられたことを歓びとしたい…

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