「全国天王総本社」という、些か物々しいようにも見える冠が着いた津島神社…愛知県の西方、名古屋から名鉄の列車で二十数分というような辺りに鎮座している。
津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…
↓社の手前には大きな木が在る…
↓大きな楼門に行き当たる…
↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。
年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…
↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…
↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…
もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
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