中金堂…:興福寺(2020.12.23)

興福寺の永い歴史の中、伽藍は幾度も損なわれ、再建が繰り返されて来た…中には「灰燼に帰す…」という程度に甚大な被害が生じてしまったという例も在る。そういう例の一つである源平合戦の頃に奈良が焼かれてしまった件に題材を求めた時代モノの小説を少し前に読んだ経過も在った。

そんなことも知りながら興福寺の辺りを歩き廻ると、「福力を興さしむ」(令興福力)(りょうこうふくりき)という経の句から寺の名を命名し、「福を起こす場となる寺に…」という名に込められた願いが行く世代にも亘って、幾多の困難を跳ね返して受継がれているのであろうということに思い至る…

↓興福寺の境内で、現時点では最新の建物であると思う。中金堂だが、これが再建されたというのも、草創期から幾世代にも亘って受継がれている想いの故なのであろう…
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (6)

中金堂は伽藍の中核を成すような重要な存在で、興福寺の創建の頃には設けられたと伝わる。そして6回もの消失と再建が繰り返されたという。

1717(享保2)年に焼失してしまった後には、財政的な事情で再建が進まないままに時日が過ぎ、1819(文政2)年に寄進を受けて規模を縮小した“仮堂”が築かれた。

この“仮堂”の老朽化も進んでしまったことから、2000(平成12)年に解体した。そして現地の発掘調査も重ね、往時の姿の中金堂を再建する計画が練り上げられた。2010(平成22)年の立柱式、2014(平成26)年の上棟式を経て2018(平成30)年に再建の落慶となったのだった…

↓正面の幅が37mで、奥行きが23mであるそうだが、なかなかに大きい…様々な外来文化の影響も色濃いと思われる奈良時代の大きな寺の堂であるので、眺めていると「古代中国の宮殿?」というような感も抱いた…
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (4)

↓「ここは視ていなかった…新しいモノでもあるが…」と思い付いたので、今般はゆっくりと拝観した。堂の柱の間から五重塔の姿も覗き、往年の絢爛豪華な伽藍を想像した…
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↑堂内には「釈迦如来坐像」を中心に幾つもの仏像が安置されている…

興福寺は、奈良を訪ねれば近くを通るような機会も多い。場所も近鉄奈良駅の近所なのだ…こういう具合に拝観するようなことも繰り返し、少しずつより深く親しみたいような感である。

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