<大須観音>…(2020.12.25)

名古屋の<大須観音>というのは通称で、正しくは「北野山真福寺寶生院」(きたのさん しんぷくじ ほうしょういん)という号の、真言宗智山派の寺であるという。真言宗智山派の中で、この寺は「別格本山」という高い位置付けが与えられているという。

<大須観音>は非常に長い経過を有している寺で、本尊の聖観音が篤い信仰を集めて来た寺だ。1892(明治25)年に火災で伽藍の建物が損なわれて本堂と仁王門が再建されたが、その建物も1945(昭和20)年の戦禍(名古屋大空襲)で損なわれてしまった。1949(昭和24)年に仮の本堂と仁王門が築かれ、1970(昭和45)年に至って漸く現在の本堂や仁王門が完成したのだという。

↓その<大須観音>の本殿は、少し高くなった場所に設えられている。なかなかに立派で、暫し足を停めて見上げてしまった…
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↑一部の軒先に「不思議な装飾?」と思ったが、辺りの鳩達が軒先で翼を休めているのだった…

↓本殿に少し近付いた…
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↓「観世音」と観音様を示す文字が書き込まれた大きな提灯も在った…
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↓新しい年を迎える準備の飾りも見受けられた…
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↓「殿悲大」=「大悲殿」という額が本殿に見受けられる。
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↑「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す語であるという。そういう“大悲”こと観音様を祀る建物を「大悲殿」というように呼ぶ場合が在る。それが掲げられている訳だ…

<大須観音>の名は地下鉄の駅名にもなっていて、この場所は或る種「辺りのシンボル」というような感じなのだと思った。古くからの門前町の流れを汲むと見受けられるような商店街も直ぐ傍に在って、一定程度賑わっているように視えた。<大須観音>の辺りということについては、「名古屋で繁華な辺り?」ということで、何となく名も耳にした記憶が在るので寄ってみたが…同時に<大須観音>へ参拝し、「無事に名古屋に立寄ることも出来たことを感謝」という感であった…

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