高野山は山そのものが「金剛峯寺の境内」というように考えられている場所であるそうだ。そういう中で寺務所等が入っている「本坊」と呼ばれる場所を「金剛峯寺」と呼び習わしていたように見受けられた…
↓その本坊の少し先にこういう場所が在る…
↑「大伽藍」と記されている…
現場では上の画で看板が掲出されているように「大伽藍」と呼び習わされていたように見受けられたが、これが金剛峯寺の本坊の辺りから「壇上伽藍」への通路だ。
壇上伽藍は弘法大師こと空海の指導で建設が始まり、次の代の代表者の時代まで、816年頃から887年頃までの長い年月で整備が進められたようだ。勿論、新たな建物がその後に登場した例や、火災等で損なわれた建物が再建された事例は多々在ると見受けられるが…壇上伽藍は、弘法大師こと空海が高野山に道場を開くことにした当初から、自ら構想し、真言密教の思想に基づいて塔や堂を建立して行くことにした場所であるそうだ…
↓前夜から早朝に些かの雪が降り積もったと見受けられる状況で、何か溜息が漏れるような「雰囲気…」が在った…
↓永い歴史を誇る寺院の伽藍には、独特な空気感が漂うように思うのだが、「山が丸ごと寺…」ということになっているこの場所のそれは格別であるように思った…
↓非常に大きな多宝塔である根本大塔(こんぽんだいとう)は、金剛峯寺のシンボルのようになっているとされるモノだ…
↓この根本大塔を見上げて見入ってしまった…
↓大勢が集まる催事の場になっているという金堂も重厚だった…
↓これは三昧堂(ざんまいどう)と呼ばれる小さな建物だが、こういう小さなモノで、19世紀の再建と伝えられるモノであっても、何か非常に独特な空気感を放っていた…
今般、「真言宗十八本山」の18ヶ寺巡りを成就しようと、些かの慌ただしさを顧みずにこの高野山へ上った…訪問をゆっくりと振り返る中で「必ず再訪しなければ…」というような想いが込み上がることを感じずには居られない…
些か慌ただしい内容に「少しばかりの悔い」が残ろうとも、訪問を実現出来ない場合には「更に大きな悔恨」を残す羽目に陥る…そういう意味では「とにかく!」と訪ねてみたことを善としておきたい。が、高野山は「何れ再訪…」と頭の隅に強く留めておきたい…
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