旭川駅からバスに乗車してみる…
旭川の路線バスは市内や近郊の広い地域に張り巡らされている。様々な運行系統で、各々の頻度でバス便が運行されている。
旭川駅の北寄りな辺りは「X条X丁目」という住所なのだが、少し離れると「〇〇X条X丁目」、「〇〇X丁目」という住所になる。その住所がバス停の名になっているか、辺りのランドマークになっているようなモノの名を冠して「〇〇前」という具合になっている。
というのは別段に特殊でもないと思うのだが…バスが走り続ける中で「〇〇X条X丁目」が現れ、程無く「△△X条X丁目」、更に「□□X条X丁目」と切り替わって行く様子が見受けられる。「X条X丁目」となる「碁盤の目」的な道路を設えた地区が幾つも折り重なっているような按配に街が拡大したのだろうか?些か不慣れな状態で動いていれば、そのうちに方角や位置関係が判り悪くなってしまうかもしれない…
今般、街の北寄りの「春光」(しゅんこう)という地区をバスに乗って訪れてみた。
↓この建物を是非とも拝見したかったのだ!
↑収蔵する彫刻を展示する場…<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>ということだが、建物は<旭川偕行社>として1902(明治35)年に登場した。
<偕行社>というのは帝国陸軍の将校准士官の親睦・互助・学術研究組織として設けられたもので、各地に将校倶楽部、或いは迎賓館的な機能を持つ会館を建てていた。陸軍の師団司令部が設置されていた都市等で、その会館の建物が伝えられている例が見受けられる。(因みに現在でも<公益財団法人偕行社>という、旧軍関係者や陸上・航空自衛隊OBの親睦団体として活動が在る。)
旭川は師団司令部を擁していて「軍都旭川」とも呼ばれていたそうだ。そういう土地柄、将校の親睦ということで<偕行社>の会館が登場した訳だ。
↓美術館の入場券を求めて館内に入り、中を見学した…
「彫刻作品を写真に撮ってネット上で公開するようなことは御遠慮願う」ということだが、フラッシュを使わずに写真を撮ることは差し支えないということになっていた。
↓入ると真中なのだが、真中から脇を視ると、廊下が在って展示場等になっている部屋が設えられている。色々な用途に用いられた部屋なのだろう…
↓「明治時代の洋館」という趣深い設えの階段だ…
↓2階を見上げた。奥は広々とした場所だった。恐らく大きな各種集会に使ったような場所なのだと見受けられた…
↓上った階段を振り返った…
↓2階の広々とした部屋の奥の窓…外で建物を見上げる場合に、真中辺りに突き出しているように視える場所だ。
↓暫しこの雰囲気を愉しんだ…
↓この場所で?色々な出来事も在ったのか?色々と思いながら眺めていた…
戦後この施設は米軍が利用した経過も在ったようだが、長く空いていて荒廃してしまった。そして北海道と旭川市とで1968(昭和43)年に復元工事を行った。その後、郷土博物館として利用されていて、1994(平成6)年からは彫刻美術館として利用されている。
↓文化財にも指定されている建物を利用した美術館…或いは「建物そのもの」が重要な展示品であるようにも思う。
この<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>は<春光園>というバス停の直ぐ傍だ。近所の子ども達が遊んでいる様子も見受けられるような公園の傍で、バス停の周辺で建物の威容も視える。幾つかの運行系統が在るようで、旭川駅との往復に際して、往路と復路とで別な経路を走るバスに乗った。往路は220円で、復路は240円だった。こういうような、立寄っている街でバスに乗って何処かを訪ねるというのも「極々小さな旅」という気分で愉しい…
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