忘れる程度に以前…『海の祭礼』という時代モノの小説を興味深く読んだということが在った。
利尻島は、実はその『海の祭礼』という小説の主要な舞台の一つになっている…
稚内から利尻島へ上陸する際の“玄関”となる、島の北東部に在る鴛泊港フェリーターミナルから少しだけ南下した辺りに記念碑が在る。
↓こういう記念碑だ…
鴛泊港フェリーターミナルの前を発車して、概ね時計回りに利尻島を一周する定期観光バスに乗車した経験が在る。その際、この記念碑に関してはバスガイドさんが話題にする。が、停車して見学するというのでもない…
↓脇にこういうように英語のモノまで在った…
ラナルド・マクドナルド…米国捕鯨船に乗り組んでいて、日本に憧れを抱いていた彼は小舟で海に出て上陸を試みた。焼尻島に至って「無人島?」と思い、更に進んで利尻島に至って人の姿を認め、そして上陸した訳である。1848年の出来事だ…
このラナルド・マクドナルドは利尻島上陸後、遥々と長崎へ護送された。長崎では幽閉されていたが、語学を学んでいた人達―幕府の通詞達―に英語の指導を行った。「日本で初めての、ネイティブスピーカーの英語教師」ということになった人物だ。
幕府の通詞の中には英語の知識を有した者も在ったというが、長崎の出島に在ったオランダ人から聴いているので、正しい発音を解していない面も在った。そういうことに関して、ラナルド・マクドナルドは彼らと英文を音読、発音を指導したという訳である。
ラナルド・マクドナルドはやって来た船で国外へ出されたが、彼と接した通詞達の中には1853年の所謂“黒船”の一件で米国人達と交渉する場面で活躍した人も在るようだ。
↓碑が古くなっていて文字が読み悪い場合も在るので、脇に内容を転記した案内板も設置されていた…
ラナルド・マクドナルドは1894年に他界したそうだが、日本で接した人達から習い覚えた「ソイナラ」(=さよなら)という語を最後に呟いたそうだ。
歴史に大きな波紋が拡がる小さな一石が投じられた…そんな出来事が伝わる利尻島である。知名度が高いような、然程でもないような記念碑だが、少し興味深い。
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