沖に利尻富士を望みながら礼文島の香深港に上陸した。
香深港に上陸した段階で、雲の関係で遠景はやや視え悪くはなっていたが、それはそれとして「一寸した遠足」を試みることとした。
礼文島に在っては、自然保護の見地から「決められたコースを歩いて自然観察や景勝を愛でるようなことをしよう」ということで、幾つかの「トレッキングコース」が設定されている。そういうモノの一つに<桃岩展望台コース>なるモノが在った。
<桃岩展望台コース>なるモノ?香深港の辺りからであれば、傾斜地を上り、島の南西寄りな側の丘陵に入り込み、起伏に富んだ小路を歩んで島の南側の知床、または映画撮影のセットを使った公園を擁する差閉(さしとじ)に至る。7㎞強と公称されているコースである。
その<桃岩展望台コース>なるモノへ入る辺りを探して、香深の街から傾斜地を上り始めた。
↓程無くこういう場所に出くわした…
↓長い石段が設えられた神社だ…
↓ゆっくりと石段を上ってみた…
↓随分と石段を上った辺りに社殿が設けられていた。ここが厳島神社である。
1808年に「宗谷場所」と呼ばれていたこの近隣で仕事をしていた人達が、礼文島にも祠を設けて豊漁や安全を祈願するようにしたというのだが、それを起源とするのが厳島神社だ。「1808年」と言えば?かの間宮林蔵が樺太探検を始めた時期であり、ロシア船との悶着を受けて「北方警固」と称して宗谷に武士達が乗込んでいた時期でもある。1808年には、会津松平家が総力を挙げて武士達を派遣し、宗谷を起点に利尻島や樺太にも上陸したという出来事が在った。
そんな遠い時代に起こった厳島神社であるが、“礼文島鎮守”ということで、漁業や海運業が盛んになった近代以降も人々に大切にされていた。
↓明治期には立派な絵馬が色々と奉納された経過が在り、貴重な文化財として大切に保管されている。
↑こうしたモノは「履物を脱いで上がって下さい」というようになっている本殿に展示されているので、参拝した際に少し見学した。
石段の下側の辺りに社務所が在る。開いていたようだったので「おはようございます!」と訪ね、さり気なく持参していた御朱印帳に御朱印を頂いた。
↓稚内へ引揚げる際の船内で、頂いた御朱印を一寸眺めていた…
何か「好い形で礼文島と出会った」というような経験となった一日と振り返るのだが、この“礼文島鎮守”たる厳島神社の御蔭なのかもしれない。そういう多くの何かへの感謝という気持ちは持ち続けたいような気がしている。
ところで…起伏に富んだ小路へ踏み込む前に、この神社の石段を上って下りたのは、存外に好い準備運動だった…
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