↑袋に「Since 1923」と在る。
1923(大正12)年ということだが?関東大震災が発生した年だ。そして稚内では、鉄道が延伸されたことを受けて、北海道と樺太を結ぶ連絡船ということになる<稚泊航路>(稚内と樺太の大泊との間の貨客航路)の運航が始まったころだ。殆ど100年前である…
↓これはその1923(大正12)年に起こった店の流れを汲む大阪の会社による珈琲豆なのだ…
↑拙宅に残っている珈琲豆が少し少な目になった中で入手を図った。
明治期の後半から終わり頃、珈琲豆を仕入れて焙煎する、それを使って珈琲を淹れて提供するというような喫茶業界が成立、形成され始めたようで、大正期には各地の主な街で焙煎所等も姿を見せた。関東大震災で東京圏での新規事業等が起こし悪かった時期、大阪で起ったのが<ダイヤモンド珈琲店>であったそうだ。
1923(大正12)年に起こった店ということになると、大阪の業界でも草分け的な存在であって、存在感を示していたが戦時には色々と苦労をし、戦争末期の戦禍で焙煎所を失うような苦難も在ったという。戦後、珈琲豆の輸入がやり易くなった時期からまた小さな焙煎所を起し、そこから積み上げられた仕事が現在も続いているという訳だ。
↓「珈琲というモノの普及」ということ自体と共に歩んだブレンドという側面も在るようなモノで、好ましい意味で「“公約数”的な珈琲の味」というブレンドであると思った。苦さの周りに味の様々なモノが絡まるという感なのだ。
これはなかなかに好ましいモノに出くわした感だ…
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