「酷く暑かった2021年7月」と記憶することになるであろうか?文字どおりの末日まで、何やら温い空気で、日中は25℃を超えるに留まらず、30℃を伺い、時には「何十年振り?」とか「観測史上最高…」という31℃、32℃という気温も見受けられた。
その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。
そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。
聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。
友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…
北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。
その「明日の朝…」と約した朝に至った…
事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…
予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…
<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…
後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。
そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。
本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。
事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。
「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。
因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。
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