旭川駅前からのバスに乗って神居古潭を訪ねてみたのだった。運転台脇にモニター画面が在って、通る停留所の名前が幾つか表示されるような仕組になっていた。これが視易い席に在れば、不慣れな路線、知らない場所でも、目指す停留所が近付くことが判るというモノだ。こういうのは個人的に好きだ…
そういうことで旭川市の域内の「余り知らない辺りだな…」という場所を通り抜けて、目指す<神居古潭>の停留所の名が画面に視え始めた。「もう少し!?」と思いながら、目指す<神居古潭>の1つ手前の停留所名に注目してしまった。<夢殿観音前>となっている。
「“夢殿観音”??」と思った。何やら惹かれた停留所名だった…かの法隆寺の東院伽藍に<夢殿>が在る訳だ。が、バスはそういう立派な寺が建っているかのような様子―寺という以前に、眼に留まって記憶に残るような建物も思い当たらないような感の国道に沿った辺りである…―は無さそうな場所を通り過ぎ、トンネルを抜けて<神居古潭>の停留所に至った。
神居古潭に至った後は、旧駅や3輛の蒸気機関車を眺め、川の景色を愉しんだ。そして川辺の路をゆっくりと進んだ。バスで通り抜けたトンネルを迂回するように川に沿って路が設えられていて、国道に交差している。
↓国道沿いに至るとこういう看板だ…
↓観音像が静かに佇んでいた…
↑これは!?法隆寺等、飛鳥時代の寺で大切に伝えられているような、細身で背が高く視えるような、美しい観音像の様式を意識したモノと見受けられた…
↓間近に寄ってみた…
↓逆側からも見上げた…
↓後ろ姿も視た…
↓像の裏に銘板が嵌っていた…
↑「大正15年」と在るから1926年である。北海道庁長官(現在の北海道知事のような役ということになろう…)や第7師団長(旭川を本拠地とした陸軍の師団が“第7師団”だった…)というような名士の臨席も得て、数千名の人々が集って「開眼供養」が行われたというように在る…
こんな像!?今般、初めて知った…比較的近年に現在の場所に遷された経過が在るらしいのだが?それでもなかなかに見事な像だった。
こんな観音像を見上げ、無事に観音像と出遭えたことに感謝の意を表したのだった…
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