軽く呑んで食事を摂って、訪れた眠気には「無駄な抵抗」はせず、素早く休んで早起きし、戸外の天候を眺めて「極々短い散策」等と称し、過ぎる程に静かな近所でカメラを提げて歩き廻る…というだけの、如何でも構わないような“日常”が変に愛おしいような気がする場合も在る。
↓沿岸の構造物、建築、天の雲と高い辺りに覗く月…これらが「一枚の画」に収まる広角レンズの<XF16mmF2.8>だ。「本当の物理的な自身の視野」よりもやや広い範囲を捉えているのだと思うが、「想念の中で何となく捉えている世界の見え方」というようなモノに近いかもしれないと考える場合が在る…
↓海岸に佇む、または護岸に何気なく腰を下ろして煙草を点けているというような中では「微弱な風…」という程度に思うのだが、高い天では勢い良く雲が流れているような気がした…
↓「9月」に入って「早朝に天が明るくなる過程」が些か遅くなったような気がしないでもない…
↓低空の厚めな雲をゆっくりと乗り越えるように朝陽が覗いた…
↓光が解き放たれるような頃、小さな漁船も姿を見せて仕事に勤しみ始めたようだった…
こういう様子が「果てしなく愛おしい」と思う。何時でも、こういう様子を悠然と眺めて「一日が始まる…少しなりとも“好き日”に…」と願うような日常を大切にしたいというようなことを考える機会が些か多くなっているような気がしないでもない…
この記事へのコメント
6x6
>「本当の物理的な自身の視野」よりもやや広い範囲を捉えていて、「想念の中で何となく捉えている世界の見え方」
今まで聞いた表現のなかでベストです。24mm(相当)を使う時の、なんとなく落ち着かない感じ。それでいて、稀にハマった時の感覚。合点しました。
僕は24mmをここ数年意識的に使いますが、どうもうまくいきません。21mmになると、「想念のなかで何となく捉えている範囲」を超えて、少しだけ辺りを見回す感じなのかもしれません。だから割り切れると。早速24mmを使いたくなりました。
Charlie
こんばんは!
コメント頂き、ありがとうございます。
こちらの記事に掲載した縦位置の画を見て振り返ると、多分現場では最初に画の下側7割程度を観ていて、その後に少し見上げて上の3割程度を観て、それらを頭の中で何となく合成するかのようなことをしているような気がします。そういう「頭の中で合成?」というのが「想念の中で何となく捉えている世界の見え方」だと思っています。そしてその「想念の中で何となく捉えている世界の見え方」を1枚の画にしてくれる場合が在るのが24㎜相当画角の<XF16㎜F2.8>だと思います。
振り返ると2019年12月に入手したレンズですが、爾来かなり多用しています。今後も多分使い続けます。
そちらのブログでもこの24㎜相当画角レンズでの画が出ることを愉しみにしたいと思います。