<日本銀行旧小樽支店金融資料館>の建物…(2021.08.21) 2021年09月11日 XF10-24㎜F4 X-Pro2 ↓眼前を通り掛かれば、思わず足を停めて眺めてみたくなる…↑前年にも通り掛かって写真を撮っていたことを思い出していたが、前年とは異なる様子だ…今般は、夏の雰囲気が未だ色濃い日中の様子である。小樽という街は「眼前を通り掛かれば、思わず足を停めて眺めてみたく…」という建物が色々と在るのが好い…
Charlie >ライカさん何時も御覧頂き、ありがとうございます。小樽は北海道の物流の要となった港町で「商都」として知られていて、意匠を凝らした建物が色々と建てられた経過が在ります。それらの一部が現在でも伝わっています。この記事の画、日本銀行の支店であった建物を含めて「嘗ての○○銀行」という建物は殊に目立ちます。奈良の南都銀行もそうですが、往年の銀行の建物は凝った建物が各地に伝わっていて面白いと思います。御訊ねの、戦時の空襲に関することです。北海道は、1945年頃には国内各地へ頻繁に飛来していた重爆撃機のB-29の行動圏を少し外れていたようで、他地域のような被害を免れた面も在ります。が、1945年7月14・15日に米軍空母から発艦した航空機による激しい攻撃を受けています。「空」だけではなく「海」という話しまで在ります。製鉄所等の軍需関係工場等の立地が目立つ室蘭は、この米海軍の北海道攻撃の際に艦砲射撃を受けています。3隻の戦艦(<アイオワ>、<ミズーリ>、<ウィスコンシン>)を中心に巡洋艦2隻と駆逐艦9隻の「計14隻」という艦隊が現れ、軍艦の大砲で「計860発」と伝わる多数の砲弾を市街地に撃ち込んだということです。甚大な被害が発生しています。北海道の方々の街でこの空母艦載機による攻撃の被害が生じたことが伝わっています。爆撃、雷撃、銃撃ということになります。釧路や根室の被害が大きかったということです。他、青函連絡船の被害も目立ったようです。小樽に関しては航行中の船が攻撃を受けて犠牲が生じたと伝わっていますが、街の大きな建物は多くが被害を免れたようです。何処の街であれ、戦禍や災害というようなことも在った中で古い建物が伝えられている例が在りますが、大切にしてみたいものだと思いながら眺める場合が在ります。
この記事へのコメント
ライカ
当時の銀行の建物はデザインが似通っていますよね。
小樽は戦争当時、空襲等は無かったんでしょうか?
Charlie
何時も御覧頂き、ありがとうございます。
小樽は北海道の物流の要となった港町で「商都」として知られていて、意匠を凝らした建物が色々と建てられた経過が在ります。それらの一部が現在でも伝わっています。
この記事の画、日本銀行の支店であった建物を含めて「嘗ての○○銀行」という建物は殊に目立ちます。奈良の南都銀行もそうですが、往年の銀行の建物は凝った建物が各地に伝わっていて面白いと思います。
御訊ねの、戦時の空襲に関することです。
北海道は、1945年頃には国内各地へ頻繁に飛来していた重爆撃機のB-29の行動圏を少し外れていたようで、他地域のような被害を免れた面も在ります。
が、1945年7月14・15日に米軍空母から発艦した航空機による激しい攻撃を受けています。
「空」だけではなく「海」という話しまで在ります。
製鉄所等の軍需関係工場等の立地が目立つ室蘭は、この米海軍の北海道攻撃の際に艦砲射撃を受けています。3隻の戦艦(<アイオワ>、<ミズーリ>、<ウィスコンシン>)を中心に巡洋艦2隻と駆逐艦9隻の「計14隻」という艦隊が現れ、軍艦の大砲で「計860発」と伝わる多数の砲弾を市街地に撃ち込んだということです。甚大な被害が発生しています。
北海道の方々の街でこの空母艦載機による攻撃の被害が生じたことが伝わっています。爆撃、雷撃、銃撃ということになります。釧路や根室の被害が大きかったということです。他、青函連絡船の被害も目立ったようです。
小樽に関しては航行中の船が攻撃を受けて犠牲が生じたと伝わっていますが、街の大きな建物は多くが被害を免れたようです。
何処の街であれ、戦禍や災害というようなことも在った中で古い建物が伝えられている例が在りますが、大切にしてみたいものだと思いながら眺める場合が在ります。