文字数が嵩み過ぎる備忘録…:「企て」の「奥」…!?(2021.11.06)

「何処かへ出る」と「量的に目一杯!」や「それに準じる…」という程度の時間を設けられずに居た中、然程の時間は設けられずとも、可能な範囲で時間を設けて「一寸、出掛けることにした」ということであった。

「一寸、出掛けることにした」と、「明確な目的地が在って、時間が許す範囲で道草」という型でもない状況で出掛ける時間を設定した。「で?如何する?」ということになる。

専用の納経帳(=御朱印帳)を入手して「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡るということをしてみたことが在った。非常に好い想い出になっている。

真言宗を開いた空海という人物には、以前から関心は在った。古代日本の著名な文化人であるが、古代日本と言うよりも日本の文化史上で屈指の人物であるとも思う。

その空海が「生まれ育った辺り?」とされるような場所に在る香川県の善通寺に立寄った際、「真言宗十八本山」の18ヶ寺を巡る専用の納経帳(=御朱印帳)と出くわした。

真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。真言宗に関しては、年月を経る中で様々な派も形成されて行ったが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。しかしながら、現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこで『十八本山納経帳』も登場している。

18ヶ寺だが、香川県の善通寺を除くと、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に各寺が在り、一部に「やや不便?」も在るかもしれないが、概ね「普通に公共交通利用で巡ることが叶う」という場所で、何れも様々な歴史が滲む興味深い場所である。

「18ヶ寺を巡る」という、非常に分り易く、達成することも酷く困難でもない「目標」を持って、その「ささやかな達成」の「証」ともなる『十八本山納経帳』を手に動いてみる。そういうことをすると、導かれるのか、追い立てられるのか、何やら「走る!!」かのようにして18ヶ寺を巡った、または「駆け抜けてしまった?」というような気がしてしまう。そういう感触は、18ヶ寺を実際に巡って、時間が経つに連れて強まっている感だ。

何か「達成感」が一定程度強く在る傍らに「それでも?」という何かが込上げ、それが何か少しずつ大きくなって、何やら拭い難いような具合になっている。「悔恨」という程に深刻であるとか、重たいという程でもない。何か「名状し悪い」のだが、「酷く気になる…」ということなのだ。

「18ヶ寺を巡る」という営みの「達成感」の傍らに「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」が在る。もう少し「ここは!」という場所に関して「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にしても「善かった??」というような考えに至ってしまったのだ。

「善かった??」というような考えに至ってしまったのであれば?少しでも「より善い…」と思えるようにすれば善いであろうし、そういうようにして差支えも無いであろう。

「18ヶ寺を巡る」というような営みを“巡礼”と言うらしいが、“巡礼”は「たった一度」に終始する場合も在るかもしれないが、「繰り返す」という場合も在る筈だ。「18ヶ寺を巡る」という中で、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思った箇所が幾分在る。“巡礼”を「繰り返す」という程のことでもなく、『十八本山納経帳』を手にするのでもなく、「気楽にゆっくりと、気になる場所を再訪する」ということを思い立ったのである。それが自身にとって「より善い…」と思えて、そしてそういう想いが抑えられなくなっているのだ。

『十八本山納経帳』の18ヶ寺に関しては、何れも再訪、再々訪の価値が高いと思う。「訪ねる」と言うより「(やや慌ただしく)立ち寄った」という感の場所も在ったが、例えば「時季を変えて訪ねる」というようなことも好さそうな場所も多い。が、そうした中で殊更に「走った?」、「駆け抜けた?」というような「気になる…」という感が沸き起こった場所、、後になって「落ち着いてゆったりと訪ねる」という程度にした方が「より善い…筈!?」と思ったのが高野山金剛峰寺であった。

「高野山」という“山”は存在しない。「そう呼ばれている場所」は、周囲を1,000m級の峰々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが拡がっている場所だ。

地名としての「高野山」とは、八葉の峰―今来峰(こんらいほう)・宝珠峰(ほうじゅほう)・鉢伏山(はちぶせやま)・弁天岳(べんてんだけ)・姑射山(こやさん)・転軸山(てんじくさん)・楊柳山(ようりゅうさん)・摩尼山(まにさん)―と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指すという。この「高野山」という名は、行政的に定められる住所の表示にも用いられて既に深く定着している。

「高野山」という呼称は「高野山金剛峰寺」という寺のフルネームの一部だ。“山号”と言うらしい。

“山号”というのは、古く中国で類似名、同名の寺を区別するために「○○山に在る○○寺」という感じで使い始めたモノらしい。その流儀が日本に伝わって「○○山○○寺」という形が寺のフルネームとして一般化した。別段に山の上や山間に所在するのでもない寺でも、フルネームとしては「○○山○○寺」という形になっている事例が多々在る。

「高野山金剛峰寺」だが、古くは「地名としての“高野山”」の一帯を漠然と呼ぶ呼称だった。「山そのものが境内」というような考え方であった訳だ。それが明治期に、本坊として機能していた場所を正式に「金剛峰寺」と称するようになって現在に至っているということである。

色々と在るが、とりあえずあの辺は「高野山」と呼ぶ他に無いような感なのでそう言うことにする。高野山金剛峰寺が開創されて1200年以上経っている。高野山という呼称は、1200年以上も使われている呼称なのだから、「深く定着」というに留まらず「原初からそういう呼称だった??」とさえ感じるような次元かもしれない。

この高野山は少し不思議な場所だ。

高野山を実際に訪ねた際、列車やケーブルカーを利用した。橋本駅から極楽橋駅までは、本当に「山岳鉄道」という感じの場所で、カーブが多い区間で、車輪を軋ませるかのような音も聞こえて「山を上がっている」というのが列車に乗車していてもよく判る。そして極楽橋駅から高野山駅はケーブルカーで、更にハッキリと「上がっている」が判る。訪ねてみた経過が在る12月には、上側の高野山駅の近くには雪も少々在って、ハッキリと「高い場所に上がった」と実感する。

そういう状況でありながら、高野山を歩き回る分には「山の上という感覚が薄い」のである。そこが不思議だ。

これも「峰々に囲まれた少し広い盆地」という状況の故に「山の下が見えない」ということの故だと見受けられる。随分と山の高い辺りに上がっている筈なのだが、「何処か(平地)の寺の堂塔も見受けられる小さな町」に入り込んだように感じるのだ。

そんな高野山の不思議な風情を少し頻繁に思い出すのだが、訪ねた時は「やや慌ただしく(?)日帰り」という形で足を運んでいた。時間が経つに連れて「もう少しあの辺を観ておけばより善かった」というようなことを随分と思うようになってしまったのだ。

こういうようになってしまうと…最早、高野山を再訪して、「気になる…」を多少なりとも解消してみる他、出来そうなことも無い。

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