「深夜?」という雰囲気の早朝に動き始め、早朝の列車で発ち、列車を乗り継いで高野山に到り、奥之院を歩き廻り、金剛峯寺や壇上伽藍や大門と精力的に動き、コンビニで求めた珈琲を啜りながら想った。
「腹…空いた…」とである。動き始めた早朝は宿の朝食提供時間帯の以前だった。珈琲や水は飲んだが、別段に何も食さない状態で、振り返ると「日頃の歩行距離を勘案すると、既にそれを凌駕するなかなかの距離?」を午前中の時間帯だけで歩いている…
折良く、幾つか見受けられる飲食店でランチ営業が始まるような時間帯に差し掛かっていた…
↓眼に留めて席が在った店でこういうモノを御願いしてみた…
↑<精進定食>というモノだ…
「精進料理」というモノが在る。原則として動物性のモノや香りの強い植物を避けるというようなことになっている、仏教寺院での料理が基礎になっているという代物である。が、この精進料理の調理法として色々な技法が登場していて、何やら「日本の料理の源流の一つ?」という観方が可能な面も在るらしい。
高野山は「限られた面積に多数の寺が立地する小さな街」という趣なので、精進料理の流れという料理を供する場所も一定程度見受けられる。その一つに出遭ったことになる。
↓芋やがんもどきや凍み豆腐等を美しく盛り合わせている。「和食!日本料理!」という風で見た目にも愉しい…
↓「刺身コンニャク」というような感になるであろうか?鮮やかな見映えのモノだった…
↓これは胡麻豆腐だ。胡麻と葛で造るモノであるという、高野山の精進料理では欠かせない代物であるらしい…「豆腐」とは呼び習わさられるが、大豆を使う豆腐とは異なるという。山葵を一寸点けるという感じが好い…何か「クリームケーキ??」という不思議な食感だった…
「原則として動物性のモノや香りの強い植物を避ける」と聞けば「粗食?」と思ってしまうが、それは多分正しくない。なかなかに手間が要りそうな料理ばかりが並ぶ定食になっているではないか!?或いは精進料理は「寺で賓客をもてなす」という辺りから発展したのかもしれない。そんなことを思った。
ゆったりとこの<精進定食>を頂いていれば、昼食のピーク時間帯に差し掛かったようで、少し店が混み合って来た。美味しく頂いて満足と素早く退散したが、これはなかなかに好かった!
この記事へのコメント
ライカ
切っても切れない定番料理ですね!
胡麻豆腐は少し噛みごたえのある食感では
ありませんでしたか?
高野山、奥の院では今現在も毎日弘法大師さまに
精進料理、胡麻豆腐をお供えしている場面に
以前遭遇した事があります。
これも神聖なものでした。
Charlie
胡麻豆腐は「豆腐」と称して、冷奴のような外見ですが、嚙んでみれば「蒲鉾?ハンペン?」というような感触で、凄く不思議でした。また胡麻豆腐は頂いてみたいものです。
精進料理というモノを余り知らなかったのですが、何やら存外に手が掛かるものだということを認識しました。
弘法大師に食事を備える場面!?何時か視たいものです…