高野山を訪ね、1晩泊めて頂くということにしたのは、「日が落ちるような頃、落ちたような頃」の様子を眺めてみたいというように思ったからだ。宿坊に元々身軽だった荷物を置いて、更に軽快になって辺りを歩き、壇上伽藍の視える辺りに歩を進めた。
↓壇上伽藍では午後5時になると、照明が据えられている箇所の灯りが点いた…
↑中門(ちゅうもん)が美しいと思った…未だ暗くなり切っていない感だが、そういう中で灯りが点くと建物の美しさが際立つと思う。
中門は1843(天保14)年の火災で焼失してしまい、長く再建が叶わなかったという経過が在る。高野山開創1200年を記念して170年振りに再建が叶ったという楼門である…
この中門には4つの像が据えられている…
上記写真で視えている側には…
↓持国天(じこくてん)…
↓多聞天(たもんてん)…
裏側には…
↓広目天(こうもくてん)…
↓増長天(ぞうちょうてん)…
4体の像は「四天王」だ。所謂「四天王」というのは、持国天=東、増長天=南、広目天=西、多聞天=北というように4方位を掌って護る「護世四王」と呼ばれている仏法の、更に仏法に帰依する人々や国の守護者である。4人の中、「多聞天」に関しては単独で「毘沙門天」と呼ばれている場合も多く在る。
中門の4体の中、持国天と多聞天とは、天保年間に火災で焼失した門にも在ったと伝えられているようで、修理復元したモノであるという。1819(文政2)年の作だという…残る広目天と増長天は現代の仏師、松本明慶師が新たに制作したのだという。2015(平成27)年に完成したそうだ。
実際に視た時には「旧く傷みが目立った像を、腕利きの職人が丁寧に修理復元して見事に仕上げた?」というようなことだと思っていた…時代を超えて、仏師が協働したような感で、ここの四天王は完成したということになる。
所謂“文化財”は、何かで損なわれたなら再興を試み、そういう過程の中で結果的に「異なる時代の人達の協働」ということまで起こって、そうやって現在まで大切に伝えられている訳だ。高野山ではそういうことにも想いが巡った。
高野山を訪ねて過ごした時のことは、本当に後から後から沸き起こるように色々と想い出す。限られた時間で撮った点数としては、何やら夥しい数の写真も在る…少しずつ、何度も高野山のことを思い出し、何時の間にか、訪ねて戻ってから然程の時日も経ていないながら「何時か再訪…」というようなことを想い描いてしまっている…
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