<651>…:広島港停留所:広島の路面電車(2021.12.23)

広島在住の友人が身軽に動き回って観察した結果、広島の街で活躍する路面電車に関して「多くの種類の車輛を視たい!」ということなら、恐らく広島港停留所に陣取って眺めるのが好いという結論に至ったという。

「広島電鉄」が運行する路面電車は多分「日本国内最大?」と見受けられるような規模である。最新の工夫が施された新しい車輛が主流を占めつつある中、様々な年代の車輛、或いは他所で路面電車の運行が停止した後に移籍した車輛等が入り混じっていて実に面白い。と言っても、古い車輛に関しては、電車の運行が増える朝の混雑時間帯に登場する場合が多いという。更に自身でも気付いたが、「広島港⇔西広島」という運行系統に在っては、古い車輛の搭乗頻度が高いようだ。

そういうことで、朝の広島港停留所に足を運んでみた。

↓味わい深い古い車輛が広島港停留所に現れた…
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↓広島港停留所は3本に枝分かれした軌道に続々と電車が着いて、折り返しで出発するという仕組みになっている。入って来た車輛がその軌道の一つに入った。
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↓<651>という車輛だ…これは「少し特別…」な車輛でもある。
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この<651>は1942(昭和17)年生まれである…

<651>が登場した1942(昭和17)年頃にもなると、軍隊への動員というような事も在って、各産業で色々な影響も受けていた。路面電車の運行にしても、運行に携わる要員確保の観点で運行本数を減らさざるを得ない面が在った。そういう中で「少し大き目な車輛を用意し、多くの乗客を輸送可能なようにするという構想が持ち上がり、「650形」が製造されることになった。そして<651>が産声を上げた。

↓<651>は初登場以来80年になろうとしているが、未だ普通に運用されている。
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「広島港⇔西広島」という運行系統に投入されていたのだが、この系統を往くことに関して<651>はかなり年季が入っている。1945(昭和20)年8月6日、<651>は現在の「広島港⇔西広島」という運行系統に在る停留所である<中電前>の周辺で原爆の被害を受けてしまっている。そのことから「被爆電車」tp呼ばれる。

↓原爆投下の際に大きな被害を受けた<651>は修理され、1946(昭和21)年3月頃には修理を終えて復帰したのだという。そして現在に至るまで、時代の要請で様々な改造も施されているが、運用されている…
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広島は原爆の惨禍に見舞われてしまったが、その後は「短い区間であっても、可能な範囲で電車の運行を…」ということになり、動いている電車は苦境に在った人々に希望を与えたのだという。そして精力的な復旧努力が重ねられた。

↓今日も<651>は「広島港⇔西広島」を往来していた…
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↑こういうような経過の車輛で、永く大切に使われてきた訳で、同型の車輛の中の1輛は既に「博物館の展示品」になっているという。が、この<651>は「飽くまでも普通に運用」である。或いはそれは、博物館で保存するよりも意義深い。そして運行可能な状態でメンテナンスをし続けるのも、なかなかに大変かもしれない。

所謂「被爆電車」が「現在でも普通に運用」とは聞いていた。その車輛を間近に視られたのは好い経験だったと思う…

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