大阪に着いて、不意にそんなことを思い出したのも、四天王寺を発願したというかの聖徳太子が産れたという橘寺が佇む様を明日香村で視たからかもしれない。
↓天王寺駅の傍の路を進んで、一箇所曲がるとこういう鳥居が在る。四天王寺の境内へ続く場所だ…

↓境内に足を踏み入れるとこういう具合に堂塔が視えるのだが…

↓廻り込んでこういう角度で眺めるべきなのかもしれない…

↓というのも、四天王寺は門、塔、金堂が直線に並ぶ中心的な伽藍が築かれているからである。「こういう角度で眺めるべきなのかも」としたのは画の上側の門からの眺めである。「四天王寺の境内へ続く」としたのは画の右側ということになる。

↓こうやって眺めると、四天王寺は巨大な超高層ビルである<あべのハルカス>を見上げるような場所に立地しているとは思い悪い…

↓今般、拝観料を払って中を拝観して参拝した…

↓伽藍の建物は「再建」だが、何れも非常に美しい…

四天王寺が立地する辺りは、色々な時代に戦乱の舞台となり、近代にも戦禍を被っていて、喪われたモノも多い筈だ。しかし聖徳太子が発願して建立されたという遥かな昔から、数え切れない程の世代に亘って受継がれたモノが在る。何か、そういうことを考えさせられてしまう。
この四天王寺の辺りは何度も通っていて、伽藍の雰囲気も眺めてはいたが、改めて真面目に立寄ってみて善かった。最近はその「改めて真面目に…」というのが、自身の「一寸したキーワード」になっているかもしれない。
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