「関西空港から新千歳空港へ飛ぶ」という確定的な予定は在ったものの、空港に至るまでの詳しい予定を決めないままで京都の宿に在った朝である。「今般は…」と足跡を思い出していた。京都の他に大阪府、奈良県、岡山県、広島県、滋賀県、兵庫県に足跡を記したということになる。各々の場所で、当然ながら滞在した時間の差異は大きいが、様々な文物に触れていた。そしてふと思った。今般は城を視ていないということについてである…
思えば大阪府、奈良県、岡山県、広島県、滋賀県、兵庫県の何れも、更に京都にしても視て興味深い城は在る訳で、別段に忌避した訳でもなく、そんな理由も全く無いのだが、偶々城に立寄る機会は設けなかった。
そこで京都から関西空港へ向かう際、関西空港を通り越した和歌山へ道草し、和歌山城を一寸視てみようと思い付いたのだ…
↓和歌山駅から片道15分かそれ以上だったと思う。冬の好天という雰囲気ではあったが、些か風が強く、その風も少々冷たい中で和歌山城に至った。
↓立派な石垣が組み合わさった城の域内に入り込んだ…
↑江戸時代には「御三家」と呼ばれて高い格式を誇った、現在の和歌山県から三重県の広大な知行地を治めた紀州徳川家の本拠地であった城である。なかなかに重厚な感じだ…
↓「小さなハイキング」という気分で、小高くなった城の小山を上がってみる…
↓天守閣を仰ぎ見るような位置に到達した…
↓「城らしい感じ」で「画になる!」と、和歌山城天守閣は存外に人気が高いらしい…
↓この天守閣…江戸時代のモノが長く伝えられていたが、1945年に戦禍で損なわれてしまい、1958年に鉄筋コンクリートで再建されて現在に至っているモノだ。
↑結局、城下町の流れを汲む現在の和歌山市としては、街中の小高い丘に佇む天守閣は「街のシンボル」なので、戦禍からの立ち直りが進む中で「是非、再建を!」という盛り上がりが在ったのであろう。
↓天守閣の脇に少し小高い場所が在って、そこから眺める天守閣が好い感じだ。
天守閣は、城が攻撃を受けて将兵が立て籠もる場合の拠所の一つとはなった筈だが、日頃は限られた番人が在る程度の倉庫か何かのような場所だった訳だ。城主の居館、家中の主だった人達が出入りする政庁、家中の催事を行う場所、城主達が関わる文化活動の場というような様々な機能を担ったのは城内の御殿だ。和歌山城の場合は天守閣の横の小高い場所が本丸御殿跡となっている。
↓冬の蒼天と光と天守閣と…なかなかに好い感じだ。
実は10年かそれ以上も以前になると思うが、和歌山駅に辿り着いて、歩いて和歌山城を往復して、和歌山城の天守閣に入って見学したということが在ったのを思い出していた。が、その時は脇の本丸御殿跡から眺めるというようなことはしなかったと思う。
ふらりと何処かの街を訪ねて、こういうような場所を歩いてみるというような営為…好きなことの一つだ…
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