↓住宅が並んでいて、その隙間にコンビニの店舗が見受けられるというような、何処の街にも在りそうな街並みの背後に、何やら酷く大きな煉瓦の壁が視えている…
↓こういうように大きな煉瓦の壁が在るのだが、それらには鉄の扉、それもやや歪んで上手く閉まらなくなってしまっている箇所も散見するような様子になっている。
↓これは広島に「昭和20年8月以前」から在った、言葉を換えると「被爆建物」ということになる代物だ…
↓1913年頃、大正に元号が切り替わって日が浅かった頃に登場した軍需工場で「陸軍被服支廠」と呼ばれるそうだ…
↓正直、普通に住宅地化しているような場所の一隅に、この種の非常に大きな歴史的建造物の壁が視えることに些か驚いた…
「被爆建物」というようなことで紹介され、敷地に入ることが出来ないようになっている関係で、何やら用地を管理している県庁の御担当を事前に訪ねてカギを拝借し、現場に立ち入った後にカギを返却というように紹介されてはいる。が、ここはそういう面倒な話しでもなく、何となく訪ねれば大規模な古びた煉瓦の壁が「その辺の大きな塀」というような具合に在るのだ…
↓爆心地からは2.7キロメートル程度であるというが、爆風で鉄の扉の一部が歪んでしまったという。
何棟も在る建物が、被爆者の臨時救護所として利用された経過も在るそうだが、戦後暫くは倉庫として利用され、やがて使用されなくなった後は「如何する?」ということになって年月が重ねられているらしい…
この種の建物に関心が在るということで、広島の友人と話していたところ「アレなら歩いて行く範囲だ…」と案内してくれた。大変に有難かったのだが、他方で「こういう様子!?」と少々驚いた…
保存するにしても耐震補強工事を施した上でのことになり、多大な費用が要る。取り壊すにしても、かなり堅牢な煉瓦造の大きな構造物を扱うので費用が酷く大きくなる。様々な面倒な事情も在るのだと思うが、こういう歴史的建造物は、何とかして一部でも永く伝えて頂きたいものだと強く思った…
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