余りにも有名な金閣の存在故に「金閣寺」が通称となっている鹿苑寺(ろくおんじ)である。「金閣を観た…」という話しなのだが、自身は何となく好みで「鹿苑寺 金閣」という程度に標記してみたい…
仁和寺の門前にバス停が在って、幾つかの運行系統のバスが走っている。バスの「市内均一料金」の範囲であれば、随意に各運行系統のバスを乗降出来る1日券を手にしていたので、停留所に掲出された案内を見てバスに乗車してみようとした。
時刻表の下に主な停留所が書いて在るという例が見受けられるのだが、眼に留めたのは「金閣寺道」という停留所名だった。仁和寺の少し北側に、あの金閣を擁する鹿苑寺は在る。その「金閣寺道」を通るバスが現れたので乗車して少し街を北上した。因みに「〇〇道」というような、有名な寺等へ通じる辺りに設けられているバス停は京都辺りでは多く見掛ける…
多少、俄か雪のようなモノが交じって肌寒い場合も在る様子だが、基本的には「冬の好天」という様相で、存外に名所を見物するという人達も出ているように見受けられた。「金閣寺」というのは或いは「“京都”の名所の代名詞的存在感?」ということになるかもしれない。寺の堂に金箔が貼られて、池の畔で輝くという姿は、何か「少し旧い時代の日本」というものをも「代表?」という感さえ在るかもしれない。兎に角「過ぎる!!」という程に有名だ…
「過ぎる!!」という程に有名な場所なので、京都に立寄った経過の中、過去に立寄ってみた経過も在ることも在って、敢えて訪ねずに居た。が、朝から神護寺を訪ね、山を下りたような感の辺りで仁和寺に寄り、門前の停留所に現れるバスが「金閣寺道」という停留所を通るのであれば、これは或る種の「御導き」ということなのだろうから、金閣を観るのも一興だと思ったのだ。
↓俄か雪が交る中の金閣…見入ってしまう感だった…
↑建物や庭園の樹木等を映す場合も在る池は、天から降る俄か雪で微妙に揺れている。
↓カメラには広角ズームを装着していたので、少し画角を調整しながらゆっくりと写真撮影を愉しみながら進んだ。
↑この金閣が視える池の辺りは「逆進は御遠慮願います」というルール、「一方通行」で歩きながら時に立ち止まって眺めるということになっている…
↓「雪」は何処のモノでも然程違いは無いのだろうが…この場所では「雪」までもが「少しばかり典雅」というような気がして不思議だった…
↓この位の、屋根の上の鳳凰が好い形と大きさで視える感じが、何となく好きだ…
↓この辺まで来ると「逆から眺める…」というような感なのかもしれない…
↓ゆったりと愉しんで辞去した…
この金閣のような「整備が行き届いた美しい庭園と、庭園の一部を成す美しい建物」というような景色は、観る時季、時間帯、天候、偶々立ち止まった位置の僅かな差というようなことで「二度と同じ様子は視られない??」という感じなのだと思う。「過ぎる!!」という程に有名な場所なので、高い優先順位で「どうしても!」と訪ねてみるまでもないのかもしれないが、それでも時に思い付いて、「御導き?」という感でこうした場所に寄ってみるのも悪くはないと思った。何か「冬の好天の中での俄か雪交じり」という様相は、些か珍しい様子であり、或いはこの金閣が「歓迎の意」を表してくれたかのような気分にもなった。
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