朝から精力的に動き回り、酷く美味かった昼食を「やや遅め?」な時間帯に愉しみ、「もう少々、辺りを歩いて宿へ引揚げようか…」というようなことを思い始めた…
↓そして出くわしたのが石碑だ…
↑かの織田信長が好んだとされる一節である。
極々個人的なことを申し上げると、こういうような昔の文言を引き合いに「自身は既に…随分と老いた…」とする訳だが、周辺の色々な人々は「未だ御若い…」と言ってくれる訳だ。何か複雑な気分にもなるが…
↓京都の街の北西寄り、船岡山に建勲神社は在る…
↑明治時代に入ってから「かの織田信長を祀ろう…」と起こった社で相対的には新しい…が、知名度は高い様子で、訪ねてみた際には存外に来訪者は多い感じだった…明治時代に起こった社で、この大きな木製の鳥居に関しても、何やら「台湾から佳い木材を持ち込んで…」というような経過を経て造っているようだ…
↓何か「一つ一つ」に一定の意味を求めながら設えられた「新興」な社というようなことを、境内を動き回って感じないでもなかった…
↓社の様々な建物が放つ「独特な空気感」というようなモノが強く感じられた…
↓かの織田信長が祀られているという場である。積み上げられた御神酒等を眺めると、随分と篤い信心の対象になっていると、少し感心すた一面も在る…
↓覇を唱え、それを成し遂げたか否かが少し不鮮明な、そんな織田信長の歩みを想うが…それでも「稀代の英雄」であることに変わりも無く、この人物を慕う後世の人達は多い訳だ…
今般は「向き合ったことが在るようで、実はその限りでもない…」というモノと真面目に組み合うというようなことも“目標”のように頭の隅に在ったのだが、この建勲神社はそういうような類の存在の際たるモノかもしれない。「人間五十年…」の、かの織田信長が好んだとされる一節は、該当年代に差し掛かっている自身には「些か刺さる…」という一面は在るが…それはそれとして「あの信長を明治期以降に真剣に祀った場所」というのは、何か「新鮮な出会い」というような気もした…
この記事へのコメント