三井寺=天台寺門宗総本山 園城寺:大津(2021.12.25)

「“記憶に残る鉄道路線”の列車を駆使して沿線の名所を巡ってみる」という程度のことをするのは面白いと思う。

今般その“記憶に残る鉄道路線”ということで頭の隅に思い浮かべたのは、路面電車のような規格―実際、路面に軌道が敷設される併用軌道の区間も在るのだが…―と見える可愛らしい車輌を2輌連結した列車が行きかっている京阪の石山坂本線だった。概ね琵琶湖の南西側の岸に沿うように大津市内に軌道が敷設されていて、沿線には名所旧跡が多い。過去に何度か利用した経過が在って、独特な雰囲気を時々思い出す。

その石山坂本線の沿線で「駅名になる程度によく知られているらしい場所ながら、思い返すと訪ねてみた経過が無い…」ということで頭に浮かぶ場所が幾分在る。その一つが三井寺駅に近い三井寺だ。

↓三井寺駅からゆったりと歩いて、こういう看板が在る場所に到った…「三井寺に着いた!」と思ったのだったが…
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↑三井寺は幾つもの霊場巡りに加わっている場所であることから、ピンポイントで三井寺の中に在るその場所を目指すという方も多い。そこでそういう人達が利用する出入口が設けられている。行き当たったのはそういう場所だった。

↓「正面の出入口」というのを聴いて、そちらの側に廻り込んだ…
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↑立派な門で、年始の準備で門松も飾られている…かの徳川家康が寄進した門であるという…

「三井寺」というのは通称だという。「園城寺」が正しい名であるという。実際、門の脇にも「園城寺」と刻まれた石が在る。

壬申の乱(672年 天智天皇の子である大友皇子と、弟である大海人皇子との争い)で敗れた大友皇子には遺児の大友与多王が在った。大友与多王は祖父たる天智天皇所持であったという弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立して父の菩提を弔うとした。大友皇子との争いを制した大海人皇子は天武天皇となっていたが、686年に大友与多王に寺の建立を許した。そして大友与多王が自身の「荘園城邑」(田畑や屋敷等の財産)を投げ打ってでも寺を建立しようとする志に感じ入った天武天皇は「園城寺」という寺号を与えた。

この園城寺の通称が「三井寺」になったのは「御井寺」が転じたからであるという。寺の辺り涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)という呼称が在って、これから「御井の寺」という通称が登場し、それが転じて「三井寺」になったのだという。

三井寺もまた古刹の例に漏れず、伽藍等が損なわれて再建されてというようなことが繰り返された経過を有している。故にこの「壬申の乱に敗れた皇子の遺児が…」という時代の創建に纏わる事柄を明確に伝える何かが在るということではない。が、三井寺が勢いを持つようになる時代よりも以前の、奈良時代前期と見受けられる旧い瓦等の出土も見受けられたということで、創建の伝承には史実も含まれている可能性が高いようだ。

↓門を潜ると、境内に数々の堂が並ぶ。門から近い辺りに釈迦堂が在った。
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↓少しばかり歩を進めると、若干高くなった、半ば独立しているようにも視える少し大きな堂が在った。
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↓これが主要な堂ということになる金堂だ。
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↓安土桃山時代の名建築ということになるようだ。
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↓江戸時代初期の名工、左甚五郎が彫ったと伝わる龍が視える箇所も在った。
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↓天台宗の様式を伝える堂ということであった。中の仏像も色々と在って面白かった。
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古い起こりを有する三井寺または園城寺であるが、859年に円珍が入って以降、天台宗系の寺として発展することとなる。

天台宗の高僧で、唐で密教を学んだ経過もある円珍は園城寺を比叡山延暦寺の別院として住み、活動するようになった。そして866年に太政官からの公験(くげん)(=公式的な証明書)を得て、園城寺を顕教、密教に加えて修験道を兼学する場として行くのだ。

やがて天台宗はこの園城寺にあった円珍の流れと、少し前の世代の円仁の流れとに分派するような形になる。園城寺に拠る<寺門>と延暦寺に拠る<山門>という両派で、両派が争う歴史も繰り広げられる。

↓何か「文化財建築の広い展示場」というような境内だ…一切経堂という建物で、向こうに三重塔も視える。
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↓「塔が視える」という様子は好きで、寺で出くわすと一寸見入ってしまう。
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↓文化財建築を紹介する看板が多々在って、正直「どれが?」とよく判らなくなって来る。が、この「文化財建築の広い展示場」という感の場所で、「訪れた者に迫って来るような、重ねられた信仰や活動の時間」というモノが感じられる。
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↓塔頭の微妙寺には黄不動、十一面観音、尊星王となかなかに興味深い仏画、仏像が祀られている。
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↓天台宗の先人の石像や…
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↓観音の石像というような様々なモノも戸外に見受けられた。
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三井寺は想像した以上に広い場所で驚いた。大阪から京都へ移動し、大津に入って辿り着いた三井寺だったが、移動しながら漫然と思っていた以上に時間を費やし、ゆったりと拝観した。冬の好天という様子な中、様々な時代の建築や仏像や仏画を拝見したというのは、なかなかに好い時間だったと思う。

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