路面電車の広島港停留所を訪れ、興味深い経過が在る車輛を眺める等したのだったが、落ち合った友人に御案内願い、辺りの「宇品」という地区を歩き廻ってみることとした。
↓こういう重厚な煉瓦造の壁に出くわした。
↓こんな具合に「建物の一部」を“記念碑”というようにして敢えて残しているのだ。
↓この「建物の一部」を残している壁の謂れを説くプレートが在った。
広島の宇品は、陸軍が物資輸送等を行う場合の拠点になっていた。明治期以降、陸軍が管轄する各種の倉庫等の施設が多く建てられた。画の壁は、そうした施設の一つで「糧秣支廠倉庫」というモノだった。将兵の食糧や軍馬の飼料を保管するというような用途で用いられたのだという。
当然ながら原爆投下当時にも在った倉庫だが、爆心地辺りから4.5kmと離れていたので、被害は軽微なものに留まったのだという。戦後は長く民間倉庫として利用され、1997年に辺りの道路を整備した際、建物の一部を記念碑ということにしたのだそうだ。
↓こんな壁が在る訳だが、壁の前には鉄道が敷設されていたという。その鉄道が敷設されていたような場所が、現在では道路になっているのだ。
鉄道が敷設されていたような場所が道路になっているという例は方々に在ると思う。が、そこに嘗て在った建物が戦禍の記憶を伝えているというのは、例が限られると思う。何か貴重なモノを拝見した。
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