<海軍さんの珈琲>:昴珈琲店:呉(2021.12.22)

早朝の岡山駅で列車に乗込み、広島駅を目指したのだったが、敢えて車窓を愉しみながら呉線を経由して呉に立寄った。

辿り着いた呉で街を漫然と歩き始めた。港と共に起り、発展したというような感の、独特な雰囲気を帯びた街だと思うのだが、「冬の好天の日」という感じで、温かく快適とは行かないものの「歩き廻っても汗ばまない感じ」というのが好ましいかもしれないという程度に思いながら歩いた。

↓こんな様子に出くわした。地元の信用金庫の本店と見受けられる建物や、様々な商店や、何かのオフィスのビルが在るような一画だ…
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↑「海軍さん」が酷く目立つ…

「アレを売っている店…」と一定程度知られていて、店側でもそれを少し前面に押し出したいというような様子…“看板商品”と謂う訳だが、<海軍さんの珈琲>はここの店の正しく“看板商品”となっている。

↓商店街の角の、かなり目立つ場所に「海軍さん」が“看板商品”として掲出されている。
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現在では珈琲豆を焙煎したモノを中心に売っている会社、店舗ということになる昴珈琲店であるが、1950年代に店を興した頃には喫茶店も営業していたという。その喫茶店で「あの戦艦<大和>では凄く美味い珈琲が飲まれていたそうだ…」という話しになって、「戦艦<大和>で飲まれた?如何いう珈琲か?」と再現してみようということになったのだそうだ。

“海軍”と言えば、軍艦の中や港の施設で洋食に着想を得た料理を全国各地から入隊して働いていた将兵に供していて、そういう料理が全国各地に拡がったというようなことを聞いた記憶が在る。そんな流れかもしれないが、古くは海軍士官が国外に研修に出るような話しも多々在ったようで、そういう経験もした人達が洋酒や珈琲や紅茶を嗜む習慣を持ち込んで、将兵の間に受継がれていたというようなことも在ったのかもしれない。かなり高級な幹部となる“提督”と呼ばれた人達から、新米の水兵まで大勢が乗務したという大きな戦艦の中なら、色々と美味い料理や飲物が在ったかもしれない…そういうように素朴に思う。

昴珈琲店では「<大和>を擁した海軍が、如何いう珈琲豆を入手していたのか?」というようなことや、「1940年代の焙煎?」というようなことを色々と推定し、呉の街では多く見受けられたという海軍経験者に試飲願う等して「こういう感じ!」というモノに行き当たったのだという。それが<海軍さんの珈琲>だという。

↓昴珈琲店に入ってみた。<海軍さんの珈琲>も含めて、多様なブレンドを手掛けているようだ。
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商店街の角の目立つ場所で、文字どおりに“看板商品”として掲出されている<海軍さんの珈琲>を求めてみようと思い立ち、御店の方に御願いした。自身、拙宅の居室で頂く珈琲は“豆”で求め、それを使う分だけ挽いてハンドドリップで淹れる。そこで“豆”の状態で<海軍さんの珈琲>を求めてみたかった訳だ。

↓珈琲豆を計量してパッキングするのを待つ間、用意して在ったブレンド珈琲を勧めて頂いた。これもなかなかに好い感じだった。
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↓呉の店で「真空パック」となった<海軍さんの珈琲>だ。確りと拙宅に送り込み、大事に保管した訳だ。
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↓使い易いように豆を容器に開けた。「1940年代の焙煎?」と再現を試みたということになるのであろうが、「キツい焙煎」というように見受けられる。或いは?1930年代に起こった焙煎の感じを受継ぐという<大阪ストロング>に通じるかもしれない。が、だからと言って<大阪ストロング>のように「極端?」とも思い悪い。
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恐らく…海軍の軍艦の中で珈琲が嗜まれたとするなら、手で回して豆を挽く道具で適当に挽いて、それをハンドドリップで淹れてというように頂いたのだと推定する。そういうことで、普段はグラインダーで18秒挽いているとした場合、敢えて14秒にしてみるというような細かい工夫で、少し粗目に挽く。焙煎がキツい関係上、余り細かく挽くと「渋い??」となってしまうかもしれない。そんなことを思えば、包の中に「細かく挽き過ぎると渋味が強くなり過ぎる場合が在る」と「粗目な挽き方が好い」という旨のアドバイスが書かれた紙片も入っていた。

そんな訳で試してみたのだが、これが好みに合った。香ばしく苦いという感じの奥に珈琲の味の幾つかの要素が滲むというような感じだと思う。なるほど「戦艦<大和>のような軍艦の中で嗜まれた珈琲?」という具合だ。恐らく、1930年代辺りのキツい焙煎の傾向の影響で、ややキツい焙煎であったと思われるのが、1940年代前半の傾向であろう。が…この位の時代には、珈琲豆は余り広く出回らなかったということでもあったとも思う…

何れにしても、遠い時代の人達が嗜んだかもしれない味に想いを巡らせ、ゆったりと好みの飲物を頂いて寛ぐというのは好い。そして、この珈琲を入手した呉の店も想い出深い場所となった。

※珈琲豆の写真は稚内の拙宅で撮っているが、呉の店の想い出という内容でもなる訳で、記事は「広島県」のカテゴリに分類する。

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