松平容保公:會津藩殉難者墓地:金戒光明寺(2022.05.13)

↓凛々しい武士…それも身分が在りそうな武士だ…
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↑像は松平容保(まつだいらかたもり)(1836-1893)である。幕末期に会津松平家の当主となり、京都守護職として家中の士を率いて入洛し、金戒光明寺を「本陣」として活動した経過が在る。

↓その京都守護職の活動の中で、多くの殉難者が生じていることから、金戒光明寺には墓地が設けられている。そこに立寄ってみた。
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会津松平家に纏わることに興味を覚えたのは、1808年に「北方警固」という動きが在って、家中の士が宗谷へ大挙してやって来たという出来事を伝え聞いたからである。宗谷へ向かう事案の国元での纏め役を務めた人物に関して、『花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰』という小説に、少し詳しい。

その「北方警固」の件に触れたことが契機で、会津松平家に纏わる様々なモノを読んだ。一部によく知られるシリーズであるようだが、『会津士魂』というシリーズの文庫本21冊も読了した。この他にも色々である…

そういうように会津松平家に纏わることに色々と触れて思っていることが在る。「官」(=正)と「賊」(=邪)というようなことが「余りにも相対的」というような「世の無常」というようなことに関してである。

幕末期、社会の安寧に責任を負わなければならない幕府の下、京都守護職を務めた会津松平家は懸命の努力で任務を果たし、高い評価を受けた。そして体制が変わったが、そうなると「討伐対象」になり、「賊の首魁」のような扱いになってしまったのだ。『会津士魂』というシリーズは、その無念を訴えるような調子が強いシリーズなのだが。

↓その会津松平家の人達の想いが篭るような松平容保の像は、家中の士が眠る地で静かに端座していた…
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「官」(=正)と「賊」(=邪)というようなことが「余りにも相対的」というような「世の無常」というようなことは、幕末というような時代より後、現在に至っても繰り返し見受けられる様相であるとも思う。色々と考えながら、墓地で静かに祈った…

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