金戒光明寺(2022.05.13)

幕末期の会津松平家への関心の故に、「京都守護職」の本陣が設けられた金戒光明寺を訪ねた記憶は在る。かなり以前になると思う。

↓こういうモノを見掛ける機会が在った。「これは!」と雨交じりではあった中、金戒光明寺を訪ねてみることにした。
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金戒光明寺は地下鉄の駅等からはやや離れている。が、東山駅界隈をグルグルと廻って丸太町通辺りに到ると、何やら上記のような案内看板に出くわす。

↓入口に到った…
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↑「京都守護職」の本陣が設けられていた旨、看板が掲出されている。

↓進んで行けば、こういうような案内図が在る…
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↓見上げるような感じの場所に大きな門が設えられている。上記の案内図の境内は小高い丘のような場所の上に築かれているのだ。
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この「小高い丘の上」というのは「城」のような感覚で利用し得るということになる。街の北東部の主要道路等に睨みを利かせる位置でもある。そして千名以上の関係者が滞在して活動することも可能な広い敷地、多数の建物が在ったということで、幕末期の「京都守護職」が「本陣」とした訳だ。

↓上って門を潜ろうとしたが、扁額に注目した。
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扁額には「浄土真宗最初門」と在る。この金戒光明寺は「浄土宗」の寺で、「浄土真宗」ではない。

金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んで活動を始めた場とされる。「浄土の教えの真実を最初に広めた場所」というのが「浄土真宗最初門」の意味で、後小松天皇(在位1382-1412)から賜った宸翰(=天皇の直筆)で扁額を設えたのだという。

↓門の下から中の様子が少し覗く…
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↓振り返った感じも美しかった…
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↓こちらで御参りした…
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↓境内にはこういう傾斜も見受けられる…
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↓三重塔も在る…
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↓境内をぐるりと廻って、小高い辺りから下りると、中に入ることは叶わないものの竹林も在った。
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独特な形状の「五劫思惟阿弥陀仏」(ごこうしゆいあみだぶつ)という像會津藩殉難者墓地の「松平容保公」の像のように、殊に強く記憶に残ったモノは別途記事も起こした。この金戒光明寺も、訪ねて興味深い場所である。

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