「中央商店街」にて…(2022.07.03)

休業日の日中、何気なくカメラを提げて御近所を歩き廻った。

↓こんな様子を眼に留めた…左側は嘗て在った建物が取り壊されて久しく、駐車場になっているのだが、「ブリジストン自転車」なる半ば朽ちたような看板を掲げた建物が残っている。
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↑そしてアーケードには「БУРУТО」(ブルート)なる看板が在る。これは「ブリジストン自転車」と無関係で、このアーケードの看板が登場したような頃に「ファミコンソフト」を売っていた店と記憶している。何時の間にか廃業し、ここが「空き店舗」になって久しいと思う。

↓右側も「空き店舗」だ。
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↑「Мебель」(メーベリ)は「家具」を意味するロシア語だ。

1990年代、ロシアの船員の上陸が目立っていた頃、「彼らの来訪?」を期待してこんなような看板を掲げてみた経過が在った。それが奏功したというようにも言い悪いと思う。ここに掲げられた看板を目掛けて、上陸船員が集まったという話しは聞いたことも無い。(画の左の側にもう少し進むと、彼らの間で酷く人気が高かった、夜に酒を供する店が在ったのは承知しているが…)

時を経て、商店街には「空き店舗」という様相になってしまった箇所が目立つようになり、アーケードの「ロシア語の文字」が遺った。

↓更に右側は「ФУДЗИИ」(ふじい)という店であったようだが、建物が取り壊されてしまっている。
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旧い商店街に「ロシア語の文字」が在るので「ロシアに近い!」と何やら「見当違い?」な話しをしたがる方に存外な頻度で出くわしたものだ。が、ここの看板は、例えて言えば「物凄く旧い広告看板が、何故か半ば朽ちて残っている建物が在った」というのと似たような次元なのだと思う。

1990年代、目立つようになったサハリンの港からやって来る船員達が何やら色々と買い込む状況が見受けられた。2000年代の半ば頃までは一部にそういう状態は続いた。やがて、敢えて様々なモノを稚内に来た際に買い出すまでもないという程度に、彼の地で或る程度何でも入手可能になって行った。例えば「Мебель」(メーベリ)の看板が眼に留まった「家具」だ。ユジノサハリンスクには、その種のモノの店が多々在るが、稚内では「余り聞かない」という様子になってしまっている。ユジノサハリンスクでは家具需要に応える店が商いを続けられる状況に在るが、稚内は既にそういうことが難しい。そして稚内市内で「新しい住宅に新たな家具を揃える」というようなことにでもなれば、評判が好いモノを通販で取り寄せるか、何処かの大きな街の大きな店に視に行って、そこで求めて配達して頂くか、自家用車で持ち帰る訳だ。そういう具合に「ユジノサハリンスクには在るが、稚内には無い」が現在では目立つ。「稚内には在るが、ユジノサハリンスクには無い」と間違いなく言えるのは?「近所の路上でエゾシカに出くわすこと」という程度のものだ。

色々と思いながら「中央商店街」を歩いた。明日からは<北門神社例大祭>で、この辺りには露店が登場することになっているが。この辺り?これから先は如何いう具合になるであろうか?

この記事へのコメント

  • Masao Kobayashi

    当時の状況を受けて稚内に通った者としては、寂しさを感じますね。

    本の編集の仕事が加わり、映画を観れていません。新聞のデータベースから「コロナ」で検索し、年表を作っているのですが、初期の頃は亡くなった安倍さんの時代だったと思ってみたりしています。
    2022年07月13日 17:18
  • Charlie

    >Masao Kobayashiさん
    こんばんは!
    色々と御活躍な御様子ですね!
    何度も調査旅行で稚内へ運ばれていたような頃は、亡くなった安倍さんが初めて首相になった頃でしたかね?何時の間にか少し遠くなったような気もします。
    あの時代、写真の商店街は未だ建物の取り壊しというような事例は少なかったのですが、何時の間にかこの画のような感じも見受けられるようになっています。
    2022年07月13日 19:04