夕刻、南稚内駅に近い辺りの街へ出た…
↓歩道の端に植栽が在って、花が咲いていたのを眼に留めた。
↓紫陽花だ…
「紫陽花」という漢字は、漢詩に在ったそうだが、詩人は恐らく他の花のことを謳ったらしいが、平安時代に日本でこの感じが用いられ始めたらしい。
「あじさい」という呼称は、「集真藍(あづさあい)」という言い方が転訛したモノであるらしい。「藍(青)色が集まる」という程の意味だ。
↓青や紫の様々な色合いが集まり、紫陽花は美しいと思う。咲いているのに出くわすと、何となく眺めてしまう。
花が集まっているような感じであることから、「家族」や「団欒」という意味の“花言葉”が在るという。
“花言葉”としては、次第に色を換えながら美しく咲いている様子から、「心を奪い悪い」というイメージで、「高嶺の花」や「神秘的」というモノも在るという。更に「神秘的」、「知的」というようなモノや、「無情」、「高慢」、「美しいが冷淡」というややネガティヴなモノまで在るそうだ。
江戸時代、かのシーボルトは日本国外へ去る羽目になった後、長崎で愛していた「お滝さん」を偲んで紫陽花を「オタクサ」と呼んだという。それに因んで、遠距離恋愛のような感じの「辛抱強い愛」という“花言葉”も在るそうだ。
↓紫陽花に出逢う場面で、カメラを持っていると写真に撮りたくなる。
↓偶々通り掛った場所で紫陽花を見掛けたのは、何か酷く嬉しかった。
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