溢れ出るかのような想い…=運行日誌(2022.08.02-03)

少し遅めな時間帯に至る迄、色々と動き回り、あっという間に日付が改まってしまっていた。

「所用」ということで、それらを足してしまい、序に時間的なゆとりも大きかったというのが「今般の京都」ではあった。が、「危険な暑さ」という最中であり、「時間的なゆとり」を活かして何かをしたという程でもなかったかもしれない。

「何かをしたという程でもなかった」かもしれないが、同行者と落ち合った中、如何しても必要と見受けられた用事は足し、可能な範囲で文化的に過ごしたような気はする。

8月2日は早起きをして、そのまま散策に親しんだが、酷く汗をかいてしまい、何やら休んだ。昼前には食事に出て、何やら噂の喫茶店を訪ねてみようとして「所在地の御案内」を参照した筈だった。しかし「何やら行き過ぎて、迷いながら戻る…」という余計な動きをして汗をかいた…

そんなことの後、一つ所用を足し、宿に一旦引揚げた後、同行者と落ち合った。ライヴハウスに音楽を聴きに行ったのだった。同行者はそれを、本当に「物凄く!!」喜んでくれたのだが、自身としては各メンバーが実に愉しそうに、そして熱も籠っている感じで演奏するのを聴く機会が少ない、最近では「殆ど無い…」という様子なので、酷く愉しかった。

自身は地下鉄で宿に引揚げる心づもりであったが、同行者はバスで引揚げようとした。停留所を見出してみると、4分少し待った辺りでバスは現れ、同行者はそれを利用した。自身は、同行者バスに乗った様子を見届けた後、地下鉄で引揚げた。

別れ際に「明日、京都を離れる?何時?京都駅から?見送りに行く。一緒にお茶でも…」と同行者は言い出した。「気持ちは嬉しいが、出発間近に会って、お茶でもしていると自身は出発することが嫌になってしまうかもしれない…去り際が寧ろ苦しくなってしまう…」と申し出た。そういうことで、同行者とはバス停で別れた。再会を期して…

徒手空拳という様子だった友人を同行者として京都に入り、新たな道を拓くことが叶うようにと背中を押した。多くの人々の御協力や御配意も頂き、活き活きと活動も出来るようになったことを、自身も喜んでいた。こうなって来ると、同行者が強い関心を抱いている音楽シーンにような事柄に触れる機会を設けてみるのも悪くはないと思った。自身でも、同行者を御案内することを口実に一寸愉しみたかったということも在ったが…

そういうことで、何やら「“想い”が溢れ出る」という気分ではある。が、他方に「実際的な都合」というモノもある。「夜中に…」とブツブツは言わず、酷い汗で汚れ、時間を経ても何となく湿っている衣類を、宿の館内に設けられたコインランドリーで洗濯をせねばならない…

色々と細々した話しは、追って綴るようにしたいと思う…

そして…夜が明けると移動という算段ではある…

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