偶々、かの徳川家康が関ヶ原合戦で着用し、以降は何時も傍らに在ったと伝えられる甲冑のレプリカを観た。そういう「契機」が在って、何となく徳川家康を思い出していた。
↓徳川家康の銅像を観る機会が在った…
↑駿府城公園の、駿府城の本丸であったという場所の辺りに在る像だ。
↓「鷹狩」を好んだとされる徳川家康が、その鷹狩に出ている様子を表現している。加えて、駿府城に在った頃のような年代の様子を思わせる。
徳川家康は関ヶ原合戦の後、徳川家の征夷大将軍を中心とする統治体制を継続する意思表示として後継者の徳川秀忠に職を譲り、駿府城に入って実権を振るったという。徳川家康は“大御所”と呼ばれた訳だが、駿府城は「大御所が在る場所」だった。
↓佇む徳川家康の目線の向こうが、今日の静岡の街ということになる訳だ…
少し湿って雲が多めであった中、静岡駅・駿府城公園間を歩き廻ったのだった…
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