円覚寺…(2022.08.05)

北鎌倉駅の「眼前!!」というような位置に円覚寺は在る…

余りにも「眼前!!」なので驚くが、恐らくは鉄道を建設した頃に、円覚寺の用地の一部を使用するということで、寺側と建設側とで申し合わせたか何かなのであろう…

↓そんな「余計な想像…」もしながら円覚寺に歩み寄った…立派な門だ。
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↑後背が山で、坂道のような地形も見受けられる場所に開かれた禅寺である…

↓階段を上がると、この立派な門に迎えられる。
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↓「瑞鹿山円覚興聖禅寺」(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)が公式名称ということで、門の扁額をよくみると「円覚興聖禅寺」と在る。
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↓境内に踏み入れば「仏殿」と呼ばれる、主要な御堂の一つに出くわす。
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↑本尊の宝冠釈迦如来像が安置されている。廬舎那仏のような感じなのだが、「宝冠」を被っているという特徴的な姿をした仏像だ。

↓仏殿の内部、天井には<白龍図>という画が在る。
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↓禅寺であるので、座禅を行う会場ということになっている場所も設えられていた。「選仏場」と呼ばれる。
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北条時宗(1251-1284)の発願で1281(弘安4)年から建立が始まった円覚寺である。翌1582(弘安5)年には無学祖元(仏光国師)を開山(初代住持)に迎えて開堂供養を催行している。

鎌倉では、大陸から招聘した禅僧の蘭渓道隆が敬愛されて活躍していたが、1278(弘安元)年に他界してしまった。そこで蘭渓道隆に所縁の建長寺の僧が大陸へ渡り、招聘したのが無学祖元であるという。

円覚寺は、寧ろ北条家の私的な寺という色彩が強かったようだが、次第に声望や権威が高まったという経過が在るようだ。

↓円覚寺に関しては、小学生の頃に東京方面を訪ねてみた折りに初めて立寄り、大学生になって東京に住んだ頃にも何度か訪ねている。「雰囲気」が何となく気に入っている場所だ…
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今般、御無沙汰してしまっていたこの場所を訪ねてみることが叶い、凄く好かったと振り返っている。

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