↓門に掛かった額に「山福巨」と在る。これは「巨福山」(こふくさん)と読む。
↓鎌倉時代の末頃に起こり、室町時代に普及したということか?代表的な禅寺を「五山」と呼ぶような事が起こった。鎌倉の禅寺としては「五山第一」に挙げられる建長寺だ。
↑北鎌倉駅の傍から、鎌倉の街へ向かう方向に15分弱も歩けば建長寺には至る。
↓三門はかなり大きく見える。
↑高さは30mに近いという話しだ…
↓正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と称している。「建長興国禅寺」と門の額に在る。
↑明確に「禅寺」と号したということでは、「日本国内初の事例?」とも目されているそうだ。
建長寺については、建設準備等を始めた時期として1249(建長元)年説と1251(建長3)年説とが在るようだが、1253(建長5)年に落慶供養が行われている。何れにしても「建長」は元号に因む名だ。
北条時頼が、大陸から来日していた禅僧、蘭渓道隆を招聘して開山(最初の住職)とした経過が在るという。
↓柏槇(びゃくしん)という木が顕著時の境内に在る。かなり大きい。
↓開山の蘭渓道隆が植えたとも伝えられる柏槇(びゃくしん)である。幹の直径が6.5mにも及び、高さは13m程であるという。
↓仏殿には本尊の地蔵菩薩が祀られている。古くは刑場であって、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が在った場所に開かれた関係であるという。
↑江戸時代、芝の増上寺で建物を建替えた際、旧い建物をこの建長寺に移築し、それがこの仏殿となっているのだという。
↓仏殿に並んで法堂(はっとう)が在る。
↑複数の堂が三門から概ね一直線に連なる、創建時の中国大陸で人気が高かったらしい様式になっている伽藍だ。
↓法堂の中、天井には『雲龍図』が描かれている。
↓迫力の在る画だと思い、暫し眺めた。
↑京都の建仁寺で『双龍図』を観たことが在ったが、同じ画家の作品であるようだ。
↓そして唐門である。
↓これも江戸時代に移築されたモノであるというが、修復が完成したということで、実に美しい仕上がりで、暫し見入っていた。
↓巨大な梵鐘も建長寺では知られているモノであるそうだ。
この梵鐘を巡って、面白い挿話が紹介されていた。
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」
1895(明治28)年の夏目漱石の句であるという。夏目漱石と親交が在った正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、この句を参照したのではないかという話しも在るようだ。
↓多少暑い―鎌倉より以前の旅程の中での「危険…」と言われる水準は免れてはいたが…―という中、余り積極的に歩き過ぎるのもキツいので、もう少し観る余地を残しながら建長寺を辞去した。
建長寺もまた、学生時代に何度か立寄った場所で、今般は久々に訪れることが叶って善かった。「銀杏散るなり…」というような時季に再訪するような機会が在れば、非常に好いかもしれないというようなことを思っていた…
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