「興味を抱いた場所」ということであれば幾らでも在ろうが、その何れもが直ぐに訪ねられるという訳でもない。更に、交通手段等の制約で、興味とは裏腹に訪ね悪い状況も生じ易いというものだ。
そんなことを思うのだが、他方に「興味を抱いた場所」で「交通手段等も不便ではない」という場所であっても、意外に訪ねる機会を設け損なってしまったままに時日が長く経過する場合も少なくはない。
↓「意外に訪ねる機会を設け損なってしまったまま」の一つに漸く至った!
桜木町駅から横浜駅に出て、京急の列車で京急川崎駅に向かい、乗換えて川崎大師駅に着き、一寸歩けば川崎大師(かわさきだいし)に至る。単純に訪問機会を設け損なっていた…
↓こういう「仲見世」というような場所を抜けて境内に入って行くようになっている。
↓なかなかに立派な門が迎えてくれる。
↑扁額に「金剛山」と在る。「金剛山金乗院平間寺」(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)というのが「川崎大師」の正式名称であるという。
この門に“仁王様”こと金剛力士は見受けられない。代わりに…
↓増長天…
↓護国天…
↓広目天…
↓多聞天…
というように“四天王”に護られている門となっていた。「門に四天王」というと高野山で見掛けた例を思い出した。因みに、川崎大師は真言宗智山派の寺である。
↓境内には色々なモノが見受けられた…
↓大本堂へ歩を進めた…
↓なかなかに貫禄が在る…
↓「弘法大師」と大書された大きな提灯も提げられていた。
↓川崎大師は古くからよく知られ、江戸時代にはこの場所を目印に挙げる道標まで在ったそうだ。河川や道路の改修で道標を撤去することになった際、川崎大師が引き取ったそうだ。道標は1663(寛文3)年に登場したモノと観られるようだ。
↓不動堂にも立ち寄った。
↓更に薬師殿にも寄った。
弘法大師を崇信していた人が、42歳の厄年に厄除けの祈願を続けていたところ、夢枕に立った高僧の示唆で、弘法大師像を見出し、それを祀るようになったことが川崎大師の起源と伝えられている。
↓時代を超えて受け継がれる「厄除け大師」に纏わる信心が発露する場…少し以前から興味を抱いていて、なかなか訪問機会が設けられなかった。今般はその機会を設けられた。そのことを大いに喜びたい。
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