6666件!!!(2022.08.16)

漠然と「好きな数字?」とでも問われるなら、多分「6」ということにすると思う。偶々、誕生日が6月6日だ。(序に6時頃に産れているらしいが…)

そういうことなので、京都の通に在る標柱の件を綴った記事が「6666件目」と気付いた時には、些か驚き、そして数奇な数字の「6」が4桁も並んだと嬉しかった。全く「だから??」というような話しかもしれないが。

このブログは「モノクロ写真が愉しい!」という想いが強まる中で継続して来た感である。地元、または地元同然に滞在という場所で撮る写真の他、他所に出て撮った、或いは“北海道の流儀”な言い方である「撮らさった」という写真を使った記事を掲載し続けている。

「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方についてだ。「〇〇らさる」、過去形の「〇〇らさった」というような言い方は「自らの意思との関連性が曖昧ながら、結果的には自身の行動や行為の帰結でありながら、感じ方の次元で如何いう訳か何らかの事象が生じたような気がしている」という意味合いだ。例えば、結果的に自身が間違えてスイッチを押しているにも関わらず「あっ!押ささった…」と表現するのだ。自身の場合、出先で夥しい写真を撮ってしまうことに関して、結果的に自身の行為の結果なのだが、何か「明確な意思との関係が薄弱なまま、何時の間にか撮っている…」という感覚の場合も交じっているように感じる場合が在るので、この「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方をしてしまう場合も在るのだ。

「6000件」に至ったのは今年の2月後半であった。ということは「半年にやや足りない期間で666件」というようなことになってしまう。これも5月半ば、7月末から8月上旬と纏まった時間を設けて他地域へ出る機会が在ったこと、加えて最近は朝の時間帯等にカメラを提げて何となく辺りを歩き廻る機会が従前より増えたかもしれないということの結果なのだと思う。

他地域へ出るような場合、何も「多忙な営業マン」のように「1時間とか1時間半というような区切りを設けて、次々と関係先を訪ねて用談をして…」という程のことをするのでも何でもない。自身が好き勝手に過ごす時間という中では、単純にフラフラとしているが、フラフラしながら際限無く写真を撮ってしまっている。正に上述の「撮らさった」で、後から写真を視て「これは…」と想い起し、記事に綴っておくことになる。色々と思い出して振り返る、加えて再訪時の参考ということにもなり得るので、そういうように記事を綴っておくのが結局は好きなのだと思う。

このブログでは、パソコンで視る場合には右側に「カテゴリ」が表示されるのだが、概ね「記事に在る写真を撮った場所」でその「カテゴリ」を分けている。この記事の前の時点で6666件という記事の中には、動き回った経過を日誌的に綴ったような内容も含んでいるが、多くは最低1枚、それ以上は特段の制約は設けずに写真を添えている。何時の間にか夥しい枚数になったと思う。

結局、2016年4月にこのブログを始めた少し以前に撮った写真から、極最近のモノまでが記事に掲載されていることになる。写真そのものを視ると、機材の変化、モノを視る観方の変化というようなモノが仄めかされるのだが、関心を寄せる対象ということになると、余り大きな変化は無いかもしれない。他方、身辺の事情―と言い立てる程に何かが在るのでもないが…―のような何かを反映した撮影地の選択というようなことも感じられないではない。

現在、何となく思うのは「可能な限り、このブログ、または好きな写真を撮ることは続けてみよう…」というようなことだ。純粋に「唯一の道楽」のようなモノなのだから…

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