三嶋大社…(2022.08.04)

<青春18きっぷ>のようなモノを手に、「或る程度長い距離をゆっくり移動する他方、途中で興味深そうな名所に寄ってみるようなこともしたい」というようなことを思う場合、<青春18きっぷ>で利用可能な普通列車の運行本数が十分に多い東海道線のような場所は非常に勝手が好いと思う。

今般、所用も在って訪ねて滞在した京都から引揚げる際、名古屋に出て、横浜に至って、そこから空港を目指して空路で北上するというように計画した。「京都名古屋横浜」というような経路、それも名古屋で1泊して一息入れるということであれば、「間違いなく<青春18きっぷ>が好い!!」ということになる筈だ。そう考えて、考えたとおりに動くこととしたのだ。

名古屋から東へ進み、静岡の駿府城公園に道草し、静岡おでんを摘まんだという愉しい場面も在って、更に東へ進んで至ったのは三島駅だった。

↓「有名な三嶋大社は然程遠いのでもなかろう…」と思いながら、三島駅周辺を見回すと、周辺案内図が在る。“周辺”と言いながら、徒歩15分程度のエリアを少し大雑把に描いているようにも見えた図だった…
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三嶋大社というのは「伊豆国一宮」、「伊豆国総社」という格式を誇る、旧国名でいう伊豆国を代表するような神社である。(静岡県は、この伊豆国、駿河国、遠江国の版図を合わせたような感じの県域を有している…)

社名の「三嶋」とは伊豆大島や三宅島等から成る「伊豆諸島」を指すとされ、主祭神は伊豆諸島の開拓神ということで古代から尊崇された神社であるという。中世には当地の武士達が尊崇した経過が在り、近世(江戸時代)には東海道の宿場町となった三島を行き交う多くの人達に尊崇されたのだという。

三島駅・三嶋大社間を歩いて往復した。「三島駅→三嶋大社」の往路だったが、復路の「三嶋大社→三島駅」に比して、標識等が些か解り悪いような気がしないでもなかった。

↓そう思いながらも、何とか大き目な鳥居が視える神社の辺りに到った…
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↓多分「三嶋」の「三」を図案化したと思われるような紋が面白いと思った。
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↓神社の「域」に踏み込んで行くというような、独特の空気感が好い…
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↓社殿等の手前に設けられた門だ…
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↓門から少し踏み入った辺りだ。少し姿勢を正して「御参り…」という気分になる場所だ…
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↓社殿だ…
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↓主要な建物は、1854年の地震で傷む、倒壊するという事が在って、1868年頃、明治初期に再建されたモノが現在に伝わっているということであるようだ…
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↓境内社の厳島神社が在って、辺りに大きな鯉が沢山居た池も在った。
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↑伊豆国は鎌倉幕府を開いて行く源頼朝に協力した北条家が地盤としていた地域だ。厳島神社は源頼朝に嫁いだ北条政子が勧請して深く信仰したと伝えられているそうだ。そういう挿話も面白いが、この場所の多数の大きな鯉に少し驚いた…

何か、深く広く尊崇された地元を代表する社に立寄ってみる機会を設けることが叶ったというのは凄く善かったと思う。この辺りを本拠地として活動した北条家の後裔が鎌倉で開いた建長寺円覚寺には翌日に立寄る機会を設けられたが。「“鎌倉以前”の彼ら」というようなことも少し感じられる場所だと思った。

旧国名で伊豆という地域には、他にも色々と興味深い場所が多く在ると聞く。“一宮”を参拝して御縁も出来たということで、伊豆国の中ももう少々訪ねてみたいと思いながら、この三嶋大社を後に三島駅へ向かったのだった。

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