↓大垣城の辺り、公園となっている敷地に騎馬の武将の像が在る。
↑戸田氏鉄(とだうじかね)(1576-1655)の像だという。
戸田家は三河の出で徳川家の家臣であった。戸田氏鉄は関ヶ原合戦の後、膳所城主であった父が他界したことでその後継者となった。<大坂の陣>の際は膳所の守備を固めていた功績が認められ、尼崎5万石に移る。江戸時代の尼崎城は、戸田氏鉄が手掛けたということになる…やがて1635年に至って、10万石で大垣に移った。
「10万石の大垣の戸田家」は幕末まで大垣城を本拠地として続く。戸田氏鉄は、大垣戸田家の初代ということになる。そして戸田氏鉄は、明治期にまで受け継がれた大垣城の整備にも携わったという。
↓整備を手掛けた城の建物を再現したモノを背後に像は立つ。大垣に移って日が浅かった頃、<島原の乱>のために戸田氏鉄は兵を率いて出ている筈だ。或いはこの像のように、城を背後に軍配を振るって「出立!」と号令したような場面も在ったのかもしれない…
少し知られた城に関しては、色々な人物が関わっているのだが、そこにこういう像が在ると「地元で敬愛されている人」というようなこと、「この場所と言えば〇〇」という地元でのイメージというようなことが判るような感じで、少し面白い。
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