殊に出先の街では「見覚えが在る…」という建物を歩き廻る際の“目印”にするようなことが在ると思う。
<新風館>という建物もそういう“目印”的な建物と認識しているのだが…
↓余り視ていない側の感じが「こういうようになっている??」と少し意外なように見えた。
↑張り出した建物の一部なのか、何やら植込みのようなモノも在る。
「見覚えが在る…」という事の「曖昧さ」が、街を歩き廻る回数が増す毎に「薄まる」というような気がする。その「曖昧さが少しずつ薄まる」を感じるのが「街に親しむ」ということであるような気がする。そして京都に関して、一部の場所でそういう「曖昧さ」の「薄まり」を少し強く感じるようになったかもしれない…
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