日出時刻の以前、好天であれば随分と以前から少し明るいような感じになるものだ。そしてその明るさに誘われ、「極々短い散策」と号して海岸部に出て、暫し過ごすというのが「一寸した愉しみ」という様相を呈している。
↓天の低目な辺りの雲は薄い。他方で、薄い域の上辺りは「刷毛のようなモノを使って、大胆な筆致で描いた?」というような様子の雲が見受けられた。
↓この「描いた?」というような雲が、光を跳ね返しながら上空の風に揺らいで流れているような様子だった。
↓何時も出るような辺りは過ぎる程に静かで、そういう中で悠然と暁の天を見上げていた。
↓朝陽の通り道辺りが輝きを増す頃、天の全般の雰囲気も随分と変わっている。
↓やがて朝陽自体も光に包まれた感じで姿が覗く。
↓そして明確に光が解き放たれた。「朝」が「産まれた」というような感じだ。
こんな様子に仄かな期待を寄せながら、少し早目に起き出すというような感じが凄く好いような気もする…
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