石川啄木 歌碑:大通公園 西3丁目(2022.12.05)

↓通り抜けようとした大通公園で、こんな像を眼に留めた。
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↑石川啄木(1886‐1912)の像だ。明治時代を駆けて、26歳で逝去―結核であったそうだ…―した歌人である。それ故、こういう像の石川啄木は何か凄く若い感じだ…

↓「しんとして幅廣(ひろ)き街の 秋の夜の 玉蜀黍(トウモロコシ)の焼くるにほひよ」という歌の碑が、この大通公園に在る。1907年の作であるという。
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玉蜀黍(トウモロコシ)は北海道の流儀では「とうきび」と呼ばれる。主に初夏から秋だが、大通公園ではワゴンが登場して「焼とうきび」が売られる。何やら明治時代の後半には街でその「焼とうきび」が売られていたらしく、石川啄木はそれを詠んでいる訳だ。歌に在る「廣き街」は大通公園のような気もする。

石川啄木は岩手県の出で、1907年から1908年を北海道内で過ごす。その後は東京に出ている。北海道内で各地を巡った経過が在って、その時期の歌が伝わり、各地に歌碑も在る。

↓これに注目する人達というのは、然程多いようにも思えないが…時にはこういうモノに眼を向けるのも愉しいかもしれない。
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