↓少年の像だが、こうして観るとなかなかに凛々しい…
↑近隣の皆さんに親しまれている像なのだろう。寒さを凌ぐべく、ニットのキャップを被せられ、ニットのマフラーも着用だ。
二宮尊徳(1787‐1856)は、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導したという人物だ。「金治郎」と署名している例が多いということだが、一般的に「二宮金次郎」で通っている。
小田原大久保家の知行地であった村で生まれ育つのだが、少年時代に父が逝去したことから、二宮金次郎が家族を支えようと働く。朝は早起きして薪を取り、夜はわらじを作った。やがて母も逝去してしまい、未だ幼かった弟達を母の実家に預け、自身は祖父の下に身を寄せた。そういう境涯から身を興す人物だ。
↓こういうような具合に、小学校の校舎の直ぐ傍、交番が在る辺りに二宮金次郎が佇んでいる。
「薪を背負いながら本を読んで歩く」という像に関しては、寧ろ明治期以降の伝記等で知られ、修身(道徳)で取上げられて普及したということのようだ。二宮金次郎が、貧しい中でも勉学の志が高く、読書に勤しんだのは事実であるようだ。祖父の家で夜に読書をしていて、吝嗇な祖父に「燈油が勿体無い」と叱られてしまったという。それを受けて、近所の堤防にアブラナを植え、それで菜種油を取って燈油として利用したという。楽でもない境涯の中、工夫しながら勉学の志を遂げたという人物であることは間違いない。が、この「薪を背負いながら本を読んで歩く」というのは、少し不明点が多い感じのようだ。
↓色々なことは在るが、学ぶ機会を見出すことの尊さ、学ぶ場である学校に在る有難さというようなことの象徴として、この「二宮金次郎」も悪くないと思いながら眺めた。
それはそれとして…足元が悪い場合も在る時季、歩きながら何かを読むようなことは些か危険なので感心しない…(特に何かを読んでいたでもない中、その辺を歩いて派手に転倒したということが在ったばかりなので、凄くそういうことが気になった…)
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