前夜に…(2022.12.21)

「普段のとおり」という夕刻を過ごし、拙宅の居室へ引揚げて寛いでいる。

年末年始辺りに「時間を設けて気儘に過ごす」ということを、何時の頃からか好んでするようになっていた。自身の場合、春から秋に何やら取り込んで、夏季休暇なるモノを取得する時季を逸してしまい、寒くなる頃に「何処かへ行きたい症候群」とでも呼ぶべきモノが疼く場合が多かった。「何処かへ行きたい症候群」とでも呼ぶべきモノに関しては、「それでは…」と何処かへ実際に出掛けてみるというような“対症療法”を施す以外に打つべき手は無いという訳だ。尤も、極近年に関して言えば、年間を通じて、思い立った時に随意に時間を設けるような挙に出て、何等の差支えも無いというような感なのかもしれないが。

そうした意味合いでは、何やら「少し荒んでいる?」というように、客観的には視えてしまうのかもしれない。極々個人的には、少々以前からそう言えなくも無いのかもしれないと振り返る。が、それもまた「だから?」という程度のことかもしれない。

実は極最近、所謂「別れ」というようなことを経験する羽目になった。和やかに過ごし、穏やかに再会を期した相手に対し、「色々と世話になったが、また…」という程度の連絡を取ることが叶わずに些かの不審を抱いた時、“訃報”とやらが飛び込んだ。急遽、関連の動きでドタバタとした経過が在った。序ながら、不注意と言う程のことでもないと自身では評するが、道路上で少々派手に転倒して些か負傷という余計な事まで在って、何やら草臥れた気分となってしまったことは否定し悪い。

“年末”というような表現が似合う時季に至って、「個人的に本年最大の出来事」というような事柄が惹起してしまったのは事実である。が、他方でやや大きな「出会い」も在った本年である。「出会い」に関して、少し精確を期すなら「再会」という程度に呼ぶべきかもしれない。

敢えて一言で言えば「些か冴えなかったかもしれない人生」ということになるのかもしれないが、それでも「冴えていた」と言い得る時期も無いではない。そういう時期に「出会い」は在った。以降、所謂「時候の御挨拶」という程度の交流は、出会った相手との間で無いでも無かった。「今年の一字」が「戦」になったというのは、かのウクライナでの事象等の故だったが、出会った相手というのがウクライナに所縁が在った。その方は、砲弾が飛び交い、先々の個人の人生が大きく損なわれる場合も在るような重傷をもたらしてしまう禍々しいモノが使用されているという地域を地元としていた関係で、「あの人は?」と自身は凄く気になっていた。

気になっていた中で連絡は着いたが、結局その方は居合わせた他地域を発ち、“第三国”たる日本に渡って、何とか御自身の新たな人生を拓いて行くことを志した。徒手空拳というような感で動き始めた中、色々な意味で暮らし易そうな何処かの街で、スタートラインに立たせてやらなければならないと思った。“御案内役”を買って出たということになるのだと思うが、5月に「特定行動」等と称して動いた事案だった。

やがて少し時日を経て、新たな人生を拓いて行くべく落ち着こうという中だった7月末から8月冒頭、再び時間を設けて「特定行動」の「続き」というようなことにも携わったのだった。

色々と考え、年末年始辺りに「時間を設けて気儘に過ごす」ということが念頭に浮かんだ或る時、「必然性」は低いモノの「特定行動」の「続き」というようなことで、少し慌ただしい日程にはなってしまうと見受けられるものの、動こうと計画を練っていた。そういうことに意が向いていた時、何やらゴチャゴチャとしたという一面は在る。

全く「不意」に、和やかに過ごし、穏やかに再会を期した相手との所謂「別れ」というようなことを経験する羽目になった中ではあるものの、同じ年に生じた「出会い」または「再会」の流れでの行動を「停めるべきでもない」とか、「そうする筋合いでもない」と考えた。事と次第によっては、「別れ」を経験する羽目になった人に引き合わせるというような展開も、全く在り得ないでもないかもしれない相手に一寸会う時間も設ける動きを図る訳だ。

不運であるとか、嬉しくもないということが在れば、他方で好運であるとか、嬉しいということが在る。“人生”というのは所詮はそういうモノだ。が、自身の場合、こういうことに加えて“二番籤”のような状態でも「実は酷く好かったじゃないか!?」という程度に考える場合も在る。加えて「不運であることに間違いはないが、もっと悪い状態にもなり得る中でのこの様子は、寧ろ好運であろう」というような考え方まですることが在る。或いは「過ぎる程に楽観的」ということかもしれない。

「過ぎる程に楽観的」という感かもしれないが、自身は殊にこの数年、「こうしてここに無事に在ることに関して、何事か、何者かはよく解らないモノに、とりあえず感謝したい…」という程度のことを強く思うようになった。「〇〇に帰依する」という意図は無いが、こういう感覚を巷間では“宗教”とでも呼ぶのかもしれない。

“年末”だからという程でもない。「時々漠然と思う」というような事柄を「言葉で表現」というように試みて、“形”を与えてみた。「出会い」または「再会」と「別れ」とが同一年に生じた年の末に、とりあえず「気儘に過ごす時間」を設けるに至った。上手く形に出来ない複雑な想いが渦巻いているのかもしれない。が、それに囚われて如何こうなるのでもない。

明朝は、こういう場合の恒例に従い、“始発駅”から計画したとおりに出発したい。

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