"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) …=運行日誌(2022.12.24-25)

宿の居室で深く眠ってしまい、日付も改まって暫く経って起き出した。

"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) と友人との間で言う場合が在る。

稚内でゲストを御迎えして、滞在期間中の予定を簡単に整理して御説明というような場面で、「この日のこの時間帯は御随意に御過ごし頂くということで…」という内容に関して"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) =「予定は自由」というように呼び習わしていた。京都に在る友人との間でも、5月に何となく使って以来、定着した言い方になった。

12月24日に関しては、友人の都合が在るので、夜に会う機会は設けるものの、自身としてはこの"Свободная программа" (スヴァボードナヤ・プログランマ) となる。自身の中で、京都は「ほんの少しばかり馴染み始めた」という街になっている。そこで過ごす「休日」も悪くはない。

稚内から新千歳空港へ列車を乗り継いで移動し、神戸へ飛び、夜を明かしてからは阪急電車を乗り継いで神戸三宮・大阪梅田・烏丸と移動した。到った京都で友人に会い、比較的早めに宿で寛ぎ、「そう言えば…飲物は方々で適当に飲んだが、神戸の宿で朝食に小さな握り飯とサラダを頂いた後は、サンドウィッチ―これが凄く美味かった…―とチーズケーキを2回頂いたのみだったか?」と夕食に出ることを思い立ち、“ボロネーゼ専門”を謳う近所の御店でパスタを愉しんだのだった。

そこから「早寝早起き」な傾向というもので、何時の間にか休み、現在の時季には「早朝」と言うのが些か心苦しい場合が在るような時間帯にとりあえず眼が開き、居室で少し寛いでいた訳だ。

早朝は散策に出た。プラス一桁の「数字が小さ目な側」という気温で、空気がやや冷たかった。と言って、前日は「冷たくやや強い風が時折…」という状態であったので、それよりは寒さが和らいだかもしれない。と言って、少し歩いていれば手が冷たくなり、手袋が必要な感じだった。

散策は、「八坂の塔」が見えるような辺り迄、主に四条通と東大路通とを歩いた。復路は、四条河原町の阪急の駅で電車に乗り、烏丸迄の一駅を移動した。

宿に戻り、宿の朝食を頂き、少し寛ぎ、やがて街へ出た。

<平安京創生館>という、「建都1200年」を契機に制作されたという「平安京」の巨大な模型が展示されている京都市関係の施設を訪ねた。これがなかなかに興味深かった。

そこから移動し、地下鉄の丸太町駅辺りに至った。和気清麻呂に所縁で、猪の像を狛犬のように使っていて、足腰に御利益という護王神社を訪ねた。そして京都御苑を横切って、かの紫式部の邸宅が在った場所と伝わる場所に在る廬山寺(ろざんじ)を訪ねた。何れも、身近に体調が十全ではない人が在る、加えて「最近、少し厄介なコトが続いているから、御祓いというのか、護り札を入手するというのか、そういうことも善いかも…」と話題にしていたことが在ったというのを受け、参拝してみたかったのだ。

参拝後に四条河原町へ移動し、京都の流儀の美味い味噌汁で知られる店で昼食を愉しんだ。そして木屋町通をゆったりと北上して歩き、京都市本庁舎周辺に至った。コンビニの奥の“イートイン”の場所辺りに入っているバーで、ハイボールを頂き、御店の方と話し―午後2時台から、何やら夜中にやるような行動だったかもしれない…―ていて、直ぐ傍に本能寺が在ることに思い至った。そして立寄った。宝物殿で素晴らしい刀を拝見した。

そこから地下鉄の烏丸御池駅辺りへ歩き、近くの<新風館>で、去年から愛用している日々の予定を書き込める手帳の「2023年用」のモノを入手した。実は昨年12月に同じ店で入手している手帳なのだ。

既に「2部構成」でなかなかに歩いている。そして宿の居室で寛いでいた。この後、未だ「3部」が在る。

夜、祇園のミュージックバーで、音楽家である友人の演奏という機会が在り、そこに足を運んだのだ。「クリスマスイヴに…」という感じで、クリスマス関係のポップス等も選曲し、素敵な演奏を御披露頂いたのだった。京都に入る迄、思いも掛けずに居たが、そういう機会が在って幸いだった。

そしてまた、12月25日の展開が在る。それまでゆったりと過ごす…

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