夜を迎え、宿の居室で寛いでいる。通算3回目で、何れの滞在時にも連泊となっている。居室は各々変わっているが、何れの部屋でも同じような感じであることも手伝い、既に宿を「京都の別宅」とでも呼びたいような気分になって来た。
昨夜は「バタン!」と休んだような気もする。朝は早めに起きた。そこで…夏にも利用したが、日曜日の朝は7時から営業する銭湯に朝から出掛けた。
日中は友人の希望も在り、「嵐山トロッコ列車」に乗車すべく出掛けた。
トロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅との間を往復した。着いた駅で外に出ずに引揚げるのも面白くないと、切符を売る窓口で「特段に観光地でも無いのですが、1時間程度過ごされるのですか?」と言われたが、「そうします!」と応じた。まずまずな天候だったので、多少寒いのは否定しないが、意外に好かったように思う。
復路はトロッコ嵯峨駅の手前のトロッコ嵐山駅で下車し、「竹林の小径」の辺りで散策を愉しんだ。友人は管楽器を扱う。管楽器のリードという部品は竹で造るのだそうだ。そういうことで「竹が沢山在る様子を観たい」としていたのだが、漸く実現した。背の高い竹が少しだけ強い風に揺れると、何やら不思議な音がする。友人が「竹の“歌”?」と言って興味深そうにしていた。あの音を「竹の“歌”」と呼ぶのは秀逸だ。
酷く混む嵐山に驚いた。路面電車の流れの嵐電―自身と友人とが乗り込んだ電車は、如何したものか酷く混み合った。―で、地下鉄の東西線の太秦天神川駅周辺に移動した。そこで眼に留めたカフェでやや遅い昼食を摂り、やがて地下鉄で途中まで一緒に移動した。友人は住まいへ引揚げ、自身は宿へ引揚げた。
宿で寛ぎ、夕刻になると飲食店も豊富な地域なので、ふらりと辺りに出て食事を凄く愉しんだ。
より詳しくは追って色々と綴ってみたい。何れにしても、何やら「この街に住んで居て、特段に面倒な予定が無い日を何となく過ごす」という状況に近いような気がする。地元を遠く離れた地域に在りながら、何か「安寧」というようなモノも感じているかもしれない。敢えて言えば、様々なことが思う儘になるでもない情況、傾向が強めだと感じる場合も在る中、「何も考えずに穏やかに…」という様子に近い感じで、京都の街中に在るのかもしれない。
「時間を設けて気儘に」ということだが、今般は「友人ととりあえず会っておこう」という契機こそ在るが、何か「京都の休日」という風情になっているかもしれない…
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