帰着…=運行日誌(2022.12.31)

予定したとおり、旭川駅を午前6時3分に出る列車に乗車した。そして概ね順調に北上した。列車は少し賑わっていたと思う。年末に、一寸旅を愉しむという方が存外に多いようだ。到着時、稚内の天候は穏やかで、気温はプラス2℃程度であった。

前日の日中は、新札幌駅へ出て、札幌駅、岩見沢駅、更に旭川駅と<18きっぷ>で移動した。前月辺りの思惑としては、今頃は札幌での「居候」という筈だったが、それをせずに北上の途に就いている。「せず」としたが「出来ない」とする方が精確かもしれない。様子が大きく変わった訳だ。

12月は色々と在った。当初から「序盤に所用…終盤に一部の所用も含めた気儘な時間…」というように計画していたが、中盤に「緊急事案」である。何か“日常”の側が“非日常”になってしまうような様相でもあった。人生も半世紀を超えている中、そんな年も在るであろう。

12月22日、荒天による交通の乱れを擦り抜けるように南下し、新千歳空港から神戸に飛んだ。そして京都へ移動して滞在した。やがて神戸へ移動し、札幌で一息入れて、所用を足して北上だ。色々な意味で想い出深い時間を過ごしたようにも思っている。何れゆっくりと、その辺りも綴りたい。

毎年思う。「或る一年」が単純に過ぎ去ったという感の場合も在れば、後から様々な意味合いを帯びて来る場合も在る。2022年は或いは後者のような気がしないでもない。

ハッキリ言って「最早、単純に迷惑で不愉快」という話しの“感染症”の騒動に覆われ続けている最中、「戦」という事態も生じて、何やら訳が解らないような気分にも覆われたのが2022年であったかもしれない。そんな中、個人的には「出逢い」または「再会」と「別れ」とが在った。

そんな2022年の最後の1日である。「12月31日に稚内に在る」というのは、何時以来か?例年、他地域に何らかの形で出ていて、年が改まって引揚げている。時にはこういう形も悪くはないであろう。早朝から飲物は幾分頂いているが、何も食べていない。空腹を満たそうとコンビニで多少買物をして来たところだ。

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