友人と連れ立って出掛けたというのは「大阪城を見学に…」という話しからだった。京都の山科駅から大坂の京橋駅へ列車で移動し、京橋駅から大阪城公園の天守閣を目掛けて歩いた。
↓広い公園の中でも、天守閣は大きな建物なので、少し離れた辺りからでも一寸目立つ。
↓少しずつ大きな天守閣に近付く。
↓その威容を見上げるような位置に至った。
「石山本願寺」であった場所に豊臣秀吉が城を築いた。「大坂の陣」で城が消失してしまった。徳川幕府が改めて築城した。天守閣等、一部の建物は火災で焼失している。幕末期を経て、明治期以降は陸軍が城の用地を利用していた。昭和の初め頃、江戸時代の基礎の上に、現在の天守閣が「街のシンボル」として建てられ、城の用地の一部が公園化された。そして戦後、用地が色々と利用される経過が重なりながら現在に至っているが、大阪城天守閣は現在でも「街のシンボル」として親しまれている。
同行した友人と、こういうような場所の経過を語らいながら、建物の様子を眺めた他に辺りの景色も愉しみ、資料館になっている天守閣の中にも入り、展示等をゆったりと観ていたのだった。
↓江戸幕府が建てた天守閣の土台を利用しているが、伝わっている豊臣時代の様子を想定して建てたのが現在の天守閣であるという。
↑館内展示に、江戸幕府が建てたモノを想定した模型が在るのだが「あの辺りの階段?入る時に上った様子と同じでは?」という様子が判る。江戸幕府が建てた天守閣は58m程度であったらしい。現在のモノは54m程であるという。大阪城公園を囲むように大きな高層ビルも多々見受けられるので、天守閣は相対的に小さく感じる場合も無いではないが。
↓何度も立寄ってみた経過が在る大阪城天守閣だが、友人と語らいながら、昼食を摂るのも半ば忘れて時間を掛けて見学したという出来事は、忘れ難い想い出になったと思う。
辺りに花が咲く木が多く植えられていることを話題にすると、友人は「その花の時季に再訪してみたい」としていた。色々な事が在った史跡でもあるが、人々に愛される憩いの場となっているという感を強くした。
「ど定番!」で「今更?」という場所かもしれないが、この天守閣が聳え立つ大阪城公園は好い…
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