時々思うことが在る。漠然と「日本の城」とでも言えば、多くの人達が思い浮かべる公約数的な感じは、「石垣の上に白い壁の大きな建物が聳え立って辺りを睥睨する」という感じで、固有名詞を出すなら或いは「姫路城」ということになるのではないだろうか?
大名の拠点としての姫路城は、諸説在るようだが、少なくとも南北朝時代の14世紀に登場しているのだという。大名の拠点として規模を拡げたのは、播磨の土着勢力であった時代の黒田官兵衛であるらしい。やがて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の陣営が山陽道方面で活動する際の拠点となったようだ。その後、関ケ原の戦いを経て池田輝政が城主となると、一族で西日本に大きな知行地を抱えた池田陣営の総本部というようなことで大規模な改修が行われたのだという。そして現在も伝わるような姿になって行った。
明治期以降、色々な建物が取り壊される、傷んでしまうということも在ったようだが、天守閣等の多くの建物が補修されて保存されて行くこととなる。そして「往時の建物が伝えられている」という、貴重な城址になっている訳だ。
城址の建物に関しては、第2次大戦期の爆撃で焼失してしまっている例も多い。姫路も爆撃を受けた。が、夜間にレーダーを頼りに爆撃を行ったのだということで、城の濠に在る水がレーダーで判り、街外れの沼沢地か何かと見做して投下する爆弾を集中しなかったらしい。そして姫路城の建物は消失を免れた訳である。
そういう姫路城のことを想い起しながら、姫路駅から真直ぐと進む。明らかに外国人旅行者という風な人達が凄く多く、些か驚く。外国人旅行者の目線でも「日本の城」とでも言えば「あの姫路城というのが凄い」ということになるのかもしれない。国外にも広く紹介されていて、多くの人達が惹かれるようだ。
↓この時季は「城の建物と桜」を眺めながら敷地を散策というのが愉しいと思う。
↑以前に建物の中等はゆっくり観た経過が在る。そこでこの「城の建物と桜」を眺めることを愉しみたい訳だ。
↓姫路城の桜に関しては「散り始め」という話しが在った。が、盛りを過ぎたような雰囲気が少し在ったにしても、存外に桜は好い状態だった。
↓花の様子が伝えられる際の基準になる木…その木は確かに「散り始め」という様子に見えるが…
↓正しく「桜と天守閣」という風情だ。
↓脇の方にも廻り込みながら城や桜を眺めて愉しんだ。
↓こういう感じが気に入っている。
↓少し離れると濠も在る。
↓桜と城の建物が見える感じを、今般はゆっくりと愉しむことが叶ったという感じだ。
聞けば、明治期以降に城の辺りが公園か何かのようになって行った中で桜が植樹されることが盛んになったとのことで、江戸時代にはそれ程多くもなかったということであるらしい。経過は経過として、こうして桜の時季に華やかになるというのは好いように思う。
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