蹴上駅…(2023.04.03)

「地下鉄」というモノは意外に歴史が古いのかもしれない。

とりあえず日本国内で“用語”として「地下鉄」というのは「都市の地下部分に建設されたトンネルの中を走行する鉄道のこと」と説明されるようだ。

「都市の地下部分に建設されたトンネルの中を走行する鉄道のこと」としては、1915年に東京で郵便物等を運ぶ軌道を地下に敷設した例が在り、多分それが最初だが、旅客輸送をしたというのでもなく、1941年には廃止されているそうだ。

その後、1925年に仙台で宮城電気鉄道の軌道が開通している。現在のJR仙石線の一部という感じになるが、この1925年の軌道は1952年に廃止されているそうだ。

1927年に至って、東京の地下鉄が開通する。現在の銀座線の一部で、その後延伸されている。

関西方面では、1928年に現在とは異なる形で「湊川地下線」という軌道が開通したのが多分最初だ。現在の阪急京都線の地下区間の一部が1931年に開通し、1933年に大阪の地下鉄の御堂筋線の一部が開通という例が早い。

そしてその後、第2次大戦後の高度成長を受けて各地に地下鉄が拡がる。京都でも地下鉄が開通した。1981年の烏丸線が最初である。そして1997年に東西線が開通している。

↓その1997年開通の東西線を利用した。
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↑蹴上駅である。駅の入口の看板が高々と掲げられている。

↓地下駅に入ると、各地の地下鉄で見受けられるような案内表示が色々と在る。
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↓京都の地下鉄東西線は「深い辺りのトンネル」というように感じる。乗場へのエスカレータや階段が概して長い。
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↓ホームが「硝子張りな壁に囲まれた広い部屋」のような感じになっている。少し独特だ。
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↓「硝子張りな壁」の一部に路線図が掲げられている。硝子の奥に「蹴上」という駅名看板が見えている。
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↑地下鉄東西線の各駅では、「硝子張りな壁」が所謂「ホーム扉」となっている。列車が発着する際に扉が開いて、車輌に乗降ということになる。この方式は、東京の地下鉄の南北線が全国最初で、京都の東西線は2例目であるらしい。

因みに「東西線」と命名されている地下鉄だが、全体の半分位が街の東西を結ぶ軌道で、残りは「街の東側で斜めに南北に」という感じで軌道が延びている。そして京阪の列車も乗入れている。京阪の列車に乗車すれば浜大津駅の方面へ行くことが出来る。

京都の地下鉄東西線は「走る車輌の姿が視え悪い」という感じだ。何か「地下を移動する大きなエレベータ」にでも乗込むような気分になる。方々の地下鉄の中でも、京都の地下鉄東西線は相対的に新しい部類のように感じられるのだが、何か独特だ…そしてその独特な感じが少し気に入っている。

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